すんだ日、大沢がたずねて来て雑談しているうちに、誰かが「背水の陣」という言葉をつかったのがもとらしく、自分で自分を窮地《きゅうち》に陥《おとしい》れて苦労をしてみるのも面白いではないか、という意見が出、更にそれが、「無計画の計画」という大沢の哲学めいた言葉にまで発展して、翌日から、さっそくそれを実行に移そうということになり、これも大沢の発案で、「筑後川上流探検」ということに決まったわけなのである。
 旅費も、むろん、そんなわけで、十分には用意していなかった。もっとも、恭一や次郎にしてみると、許しも得ないで家を飛び出すわけにはいかず、だいいち一文なしではどうにもならなかったので、大沢の帰ったあとで、二人が父の俊亮におずおずその計画を語すと、俊亮は、
「次郎も行くのか。」
 と、笑いながら、わけなく二十円ほどの金を出してくれた。それに、はたで聞いていたお祖母さんも、心配しいしい、恭一の財布にいくらかの小銭を入れてくれたので、汽車に乗る前には、大沢の懐にしていた分まで合わせると、三十円近くにはなっていたのだった。それを大沢が全部一まとめにして預かることになり、今日まで何もかも賄って来たという
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