が出ないということを知らなかった彼らは、宝鏡先生は退職したとばかり思いこんでいたのである。次郎もその一人だったが、彼はその瞬間、これまで伏せていた眼をあげて、思わず宝鏡先生を見た。宝鏡先生は、いつもとちがって、職員席の最前列の、しかも、校長席のすぐ隣に、仁王のように厳めしく立っていたが、その汗を浮かしているらしい額も、次郎には、その時、あまり苦にならなかった。
 校長の言葉は、ほんの二三分で終った。そうした場合、事実とちがった月並の讃辞をのべたてるようなことは、これまで校長の決してやらないことだったが、宝鏡先生についても、校長は、ただ次のようなことを述べたきりだった。
「先生が御在任中、ただの一時間も授業を休まれないで、諸君の教育に当って下すったことは感謝にたえない。これは、先生の御健康のたまものであるが、また私事をもって公事をおろそかにされない先生の御精神が然らしめたものだと思う。私は、それを先生が本校に遺された最大の教訓として、諸君と共に有りがたくおうけしたいと思う。」
 次郎は、宝鏡先生がそれだけでも校長にほめてもらったことが、何かうれしかった。しかし、とりわけ彼の心にしみたのは
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