易にひらかなかった。やっとそれが開いたのは、午後の時間の用意の鐘が間もなく鳴ろうという頃だった。
 はいって来たのは、小田先生と朝倉先生の二人だった。次郎は、うろたえたように立上って、朝倉先生に敬礼した。すると、朝倉先生はにこにこしながら、
「本田は、よくいろんな変った事件を起すんだね。」
 と、無造作に椅子をひいて、腰をおろした。それから、
「まあ、かけたまえ。」
 と、次郎にも腰をおろさせ、
「しかし、今度は、室崎の時とはちがって、君の方が机もろともかかえ出されたそうじゃないか。さすがに、君も面喰らったろう。」
 朝倉先生は、そう言って大きく笑った。それは、まるで取調べをするとか、訓戒をするとかいった調子ではなかった。が、先生はそれからしばらく窓の方を見たあと、急にまじめな顔をして、
「小田先生は、学級主任として君のことを非常に心配していられるんだ。」
 次郎は、ちらと小田先生を見たが、すぐ冷やかに眼をそらした。
「実はね――」
 と、朝倉先生は、しばらく間をおいて、
「小田先生は、君に悪気があったなんて、ちっとも思ってはいられないんだ。私も、むろん、そうは思っていない。校長先生にはまだお話してないんだが、お話しても、たぶん、そうは思われないだろう。だから、学校としては、君の正しさを疑ってはいないんだ。君はそれを信じてもよい。」
 次郎は、心が躍るようだった。しかし、ついさっきまで自分を疑っていた小田先生が、朝倉先生のそんな言葉を默って聞いているのが不思議でならなかった。
「しかし、――」
 と、朝倉先生は、次郎の顔を注意ぶかく見まもりながら、
「人間の世の中には、誤解ということがある。これは、時と場合によって免れがたいことだ。君だって、これまでに、人を誤解したことが何度もあるだろう。」
 次郎の頭には、幼いころからの自分の生活が、一瞬、走馬燈のようにまわった。
「どうだね。」
 朝倉先生はやさしく返事をうながした。
「あります。」
 次郎は素直《すなお》に答えて、少しうなだれた。
「誤解された人は気の毒だ。だから、そういう人があったら、みんなでその人のために弁護をしてやらなければならん。これはあたりまえのことだ。」
 次郎は、小田先生の顔をそっとのぞいて見たいような気がしたが、視線はわずかに青い毛氈の上をはっただけだった。
「しかし、気の毒なのは、誤解された人だけではない。誤解する人も、やっぱり気の毒だよ。どうかすると、誤解された人以上に、その人をいたわってやらなければならないこともある。君は、自分で、そんなふうに考えたことはないかね。」
 次郎には、急には返事が出来なかった。朝倉先生は、毛氈の上に組んでいた手を、そのまま顎の下にもっていって、数でも読むように指を動かしていたが、
「君が、自分で人を誤解した時のことを、よく考えてみたら、わかるだろう。」
 次郎は、もう一度、自分の過去につきもどされた。いろんな人の顔が彼の前にちらついた。その中には、亡くなった母の観音様に似た顔もあった。彼の頭からは、その時、宝鏡先生のことなどすっかり拭い去られてしまっていた。
「わかるはずだと思うがね。」
 朝倉先生は、組んだ手をもう一度毛氈の上にもどして、少し顔をつき出した。
「わかります。」
 次郎の顔は、もうその時には、毛氈にくっつくように垂れていた。
「うむ――」
 と、朝倉先生はうなずいて、また手を顎の下にやった。そして、しばらく考えていたが、
「そこで、宝鏡先生の君に対する誤解だが、むろん、小田先生をはじめ、私も、出来るだけ君に悪気がなかったことをお伝えはする。しかし、一番の早道は、君が自分で直接君の気持をお話しすることだと思うが、どうだね。」
 次郎は、しかしぴったりしない気持だった。宝鏡先生の方から呼び出しがあればとにかく、自分から進んで弁解に行く必要はない、そんなことをするのは屈辱だ、という気がしてならなかったのである。彼は答えなかった。
「いやかね。」
 と、朝倉先生は、組んだ手を解《と》いて、代る代るもみながら、
「いやなら、仕方がない。いやなものを無理強いされても、かえって誤解を深めるはかりだろうからね。……どうです、小田先生、本田の気持がもう少し落ちついてからにしちゃあ。」
「しかし……いいでしょうか。」
 小田先生は、何か言いにくそうに、言葉の途中をにごした。
「仕方がありませんよ。無理をして、取返しのつかん結果になるより、当分このままの方がいいでしょう。」
「はあ……」
 小田先生の返事はやはり煮えきらなかった。次郎には、しかし、その煮えきらない理由が小田先生の宝鏡先生に対する立場にあるということが、もうはっきりわかっていた。
「じゃあ、もう本田は引きとらしていいでしょう。」
 朝倉先生はおさえつけるような調
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