ておきたがり、はた目には、お祖母さんの愛が次第に次郎に移って行くのではないかとさえ思えるのだった。
 その間の消息について、次郎は、ある日の日記――それは、もう彼が四年に進級してからかなりたったころの日記であるが、――の中にこんなことを書いている。

「今日も、学校から帰ると、祖母が待ちかねていたように愚痴をこぼしはじめた。何でも大巻の祖父がやって来て、今月は先月にくらべ、卵の収穫が三百あまりも殖えたそうで結構だ、と喜びを言ったのがいけなかったらしい。祖母は、みんなが卵の数を自分には知らさないで、大巻にだけ知らしているんだ、というのである。あまりばかばかしいので、つい笑い出したくなったが、やはりがまんしてきいてやることにした。しかし、そのために、夕飯の時にみんなのまえで、“次郎は小さいとき里子に行って苦労しただけに兄弟のうちで誰よりも物の道理がわかっている。”などと言われたのには、僕もさすがに冷汗が出た。
 それにしても、自分の最も愛していない相手に同情を求め、自分の最も讃めたくない相手を強いて讃めて、どうなり自分を慰めていなければならない人間ほど、みじめな存在はないだろう。
 僕は、そうしたみじめさから祖母を救うことが、僕自身の正しい道だと考えないことはない。しかし、また一方では、みじめさをみじめさのままにして、少しもそれにふれないで置くことが、祖母のような性格と年齢の人を、かえって幸福にするのではないかとも考える。」

 この日記を書いてから数日たって白鳥会があり、その席で「妥協」ということが問題になったらしく、彼はそれについていろいろと自分の感想を日記につらねているが、最後に次のようなことを書いている。

「祖母の問題についても、僕はもっと深く考えてみなければならない。これまで、僕はいい加減に現実と妥協して来たようだ。祖母のみじめさをみじめさのままにしてふれないでおき、それを祖母自身の幸福のためだ、などと考えるのが妥協でなくて何であろう。妥協は、おたがいに真実の愛を感じないものの間にのみ常に成立つ。その意味で、妥協はたしかに虚偽だ。……だが、真実の愛はどうすれば湧いて来るのか、僕にはそれがわからない。僕はただそれを「摂理」に祈る外はないのだ。そして、真実の愛がまだ湧いていないとすれば、それが湧くまでは、妥協の外に道はないのではないか。なぜなら、真実の愛もなく妥協もないところには、ただ破壊のみが残されているからだ。白鳥会では、妥協よりもむしろ破壊を選ぶといった意見の方が多かった。しかし、僕はそれが単に痛快だからとか、虚偽でないからとかいうだけで賛成するわけにはいかない。少くとも、僕と祖母とに関する限り、破壊が妥協よりもまさっているとは決していえないようだ。それは、破壊がはっきりと建設を約束してくれないばかりでなく、僕自身の気持において何か忍びないものを感ずるからだ。……これは、僕の心のどこかに卑怯の虫が巣食っているせいだろうか。或はそうかも知れない。しかし僕としては、今はほかに行く道はないようだ。考えてみると、祖母もみじめだが、僕もそれに劣らずみじめなのだ。呪われたる運命よ。」

 次郎の日記は、かように、お祖母さんとの問題になると、とかく同じところをぐるぐるまわって、落ちつきのない感傷に終り、運命を呪ってみたりする。それだけに、お祖母さんが依然として彼の心に一つのしみ[#「しみ」に傍点]を与えていたことはたしかである。しかし、それも、今では彼の生活そのもののしみ[#「しみ」に傍点]というよりは、もっと現実をはなれた、いわば思索の祭壇に捧げられた黒い花束みたようなものだったのである。事実、彼の日々の生活は、お祖母さんに愚痴を聞かされるわずかの時間をのぞけば、「呪われた運命」などとはおよそ縁の遠い、のびのびとしたものであった。お祖母さんとの関係について日記に感傷的な文句をつらねている時でさえ、彼は、それに悩まされて暗い気持になっているというよりは、むしろ道義の世界における探検者としてのある喜びを感じていたかのようであった。
 こうして、彼は、父の鶏舎や畑を手伝いながら、身も心も張りきって、中学三年から四年にかけての約一年半を過ごしたが、その一年半こそは、彼のこれまでの生活の中で最も永続きのした明るい生活であった。そして、一生のこの時期に、そうした生活を恵まれたということは、ただちに彼の身長にまで影響を及ぼした。彼が幼年時代に自分のちび[#「ちび」に傍点]であるのをひどく恥じていたことは、多分まだ読者の記憶にも残っていることだと思うが、この羞恥感は、その後の彼の内面生活の変化と共に、いくらかずつうすらいで行ったとはいえ、中学三年の二学期頃までは、完全にぬぐい去られていたとはいえなかった。というのは、体操の時間にいつも一番びりに
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