―或は恐らく朝倉先生を尊敬するのと同じ程度に、尊敬せずにはいられなくなるかも知れない。そして、そうした尊敬の念が彼の心に湧いた時こそ、彼は、朝倉先生に学び得た「白鳥芦花に入る」精神や、「誠」や、「円を描いて円を消す」心構えやらを、真に会得することが出来るであろう。
筆がつい横にそれてしまったが、俊亮のお芳に対する信頼は、そんなわけで、養鶏をはじめてから急に深まって行き、信頼が深まるにつれ、事業はいよいよ調子づいて来た。そして心配されていた恭一の学資も、最初の二三ヵ月こそ多少やりくりを必要としたが、とにかく送るには送ったし、その後まったく問題ではなくなって来た。恭一は、それでも不安だったのか、或は他に何か考えがあったのか、やはり家庭教師をつづけていたらしかった。しかし、年末の休みに予告もなくひょっくり帰って来て、二三日家の様子を見ているうちに、すっかり安心したらしく、自分から次郎に言った。
「もう学資のために仂くのは止すよ。これからは大沢君とも相談して、べつの意味で仂いてみたいと思っている。」
こんなふうで、次郎には何もかもが楽しくなって来た。そして、恭一のそうした言葉からの刺戟もあって、毎日学校から帰って来て鶏舎や畑の手伝いをするにしても、それを単なる手伝いとは考えす、自分自身の仕事として、その仕事の中から出来るだけ多くの意味をくみとろうとつとめた。それが、白鳥会における彼の存在を、徐々にこれまでとはちがったものにしはじめたことはいうまでもない。彼は、鶏や野菜の話から、しばしば、生命についての彼のいろいろの感想を述べた。その中には、生命とその環境とか、生命の自律性と調和性とか、或は自然と道徳とかいったような問題にふれることも稀ではなかった。ある時、彼は、「鶏でも野菜でもはじめにいじけさすと、たいていは取りかえしがつかないものだ。」と言って、彼の経験した実例をいろいろと話していたが、ふと、これは自分のことを言っているのではないか、という気がして、急に口をつぐんでしまったことがあった。しかし、そんな時のいやな気持も、あとに尾を引くというようなことは、この頃ではもう全くなくなっていた。そして、その理由を彼自身で反省してみて、やっぱりこれも環境のせいだ、というふうに考え、人知れず微笑したくらいだったのである。
みんなが明るく、生き生きとなるにつれて、ただひとり、不機嫌になるように思われたのは、お祖母さんだった。それは、いうまでもなく、お芳の家庭におけるこれまでのぼやけた存在が、日に日に鮮明なものになって来たからにちがいなかった。お芳としては、ただ正直に真心こめて仂くだけのことだったが、その仂きが効果をあらわせばあらわすほど、そしてそれが俊亮に認められれば認められるほど、お祖母さんとしては自分の影がうすくなるような気がするのだった。恭一の学資の心配がなくなったのは、うれしいことにはちがいなかったが、それが恭一のことであるだけに、そのかげにお芳の力、ひいては大巻の力を認めないではいられないのが、たまらなくくやしかった。それも、大巻の家が遠方にでもあればまだしも、すぐ目と鼻の間にあって、日に何回となく双方から行き来するので、いかにも自分ひとりが人質にでもとられているような気がしてならなかったのである。
お祖母さんのそうしたひがみは、何かにつけ、遠まわしの皮肉となってお芳の耳に刺さった。しかし、その痛みを感じたものは、お芳ではなくて、むしろ俊亮だった。しかもその俊亮でさえ、何もかも肚《はら》にのみこんで、表面では何ごともなかったような顔をしているので、お祖母さんとしてはいよいよもどかしくなり、その結果が、次郎と俊亮を相手に愚痴《ぐち》をこぼし、口ぎたなくお芳のかげ口を言うばかりか、俊亮を大の親不孝者とさえ呼ぶようになって来たのである。
次郎にとって、お祖母さんのそんな愚痴が愉快なものでなかったことは、いうまでもない。しかし、それも今では、彼の日々の生活に大して暗い影をなげるというほどのものではなかった。どうせお祖母さんはこんな人だ、という諦めに、いくぶんのあわれみの情をまじえて、不愉快ながらもその愚痴を辛抱し聞いてるといったふうであった。そのことでは、俊三の方がいつもお祖母さんの機嫌を損じた。俊三は、お祖母さんの愚痴がはじまると、てんからあざ笑ったり、正面から反対したり、途中から逃げ出したりすることが多かった。お祖母さんはそんな時には、次郎に向って、「まだ俊三には何もわからないんだよ。」と嘆息するのだったが、次郎は、もし自分が俊三のような態度に出たら、お祖母さんはどんなふうに言うだろう、などと考え、心の中で苦笑しながら、やはりおしまいまで相手になってやるのだった。そして、そういうことから、お祖母さんは、何かにつけ次郎を身近に引きつけ
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