、一種の興味に刺戟されて、すぐ賛成した。誰よりも喜んだのは次郎だった。彼は、迷宮からでも救い出されたような、ほっとした気持になって、もう、賛成するもしないもなかったのである。
先生を訪ねる時間の打合わせを終ると、大沢は新賀の肩をたたいて言った。
「さあ、もうこれで、失敬してもいいんだ。じゃあ、さよなら。」
新賀は、頭をかきながら、大沢のあとについて、階段をおりた。
七 心境の問題
朝倉先生の住居は、家賃十何円かの、だだっ広い、古い士族屋敷で、柱も天井も黒ずんだ十二畳の座敷が、書斎兼客間になっていた。
ちょうど先生が入浴中だったので、四人は十分あまりも、その部屋に待たされた。そのあいだ、大沢と恭一とは、勝手に座蒲団をならべたり、本棚から本を引き出して見たりしていたが、先生の自宅を訪ねた経験のない次郎と新賀とは、いかにも窮屈そうにかしこまっていた。
「やあ、待たせて済まんかったなあ。」
と、先生は湯あがりの顔をほてらせながら、襖をあけて這入って来た。そして次郎と新賀とが小さくなって坐っているのを見ると、
「おや、今日はめずらしい顔だね。私は、また例の連中かと思っていたが。」
「はあ、実は、これから下級生も少しずつ加えていただきたいと思って、つれて来たんです。」
大沢が、持っていた本を棚にかえし、自分の席にもどりながら答えた。
次郎と新賀とは、さっきからお辞儀をする機会を待って、もじもじしていたが、先生は、
「うむ、そうか。」
と、まだ立ったままで、羽織の紐をかけていた。
「こちらが新賀君、むこうは僕の弟です。」
恭一が先生の顔を下からのぞきながら紹介した。
「ほう。」
と、先生は、まだ二人の方を見ない。そして、やはり羽織の紐をいじくっていたが、やっとそれがかかったらしく、
「やあ、いらっしゃい。」
と、自分の座蒲団に尻をおろし、はじめてみんなとお辞儀をかわした。
次郎は、今日のことで、さっそく先生に何とか言葉をかけられるだろうと予期して、固くなって待っていた。しかし、先生は、ちょっと彼の顔を見て、
「おお、そうそう、君は本田の弟だったな。」
と、言ったきり、すぐ新賀の方に話しかけた。新賀は例によって問われることをはきはきと答えた。
「ほう海軍か。そりゃいい。一年の時からちゃんと志望をきめて、まっしぐらに進むのはいいことだ。」
先生
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