にこにこしながら、
「次郎君が、自分で思う通りにするから誰も構ってくれなくてもいい、と言ったのは、失敬でも何でもないんだ。実は、僕、それでいいと思うんだよ。いや、それがほんとうなんだ。朝倉先生だって、多分そのつもりなんだろう。だから、僕らは、次郎君がこれからどうするか、見ていりゃあいいんだ。」
 次郎には、それが非常に皮肉にきこえた。彼は「くそっ」という顔をして、大沢をにらんだ。大沢は、しかし、相変らずにこにこしながら、
「だが、次郎君、朝倉先生が、心にもないことはやるなって言われたことを忘れんようにせいよ。先生は、君に是が非でも聖人君子の真似ごとをやらせようとしていられるんではないんだ。その証拠には、ゆっくり考えろと言われたんだろう。むろん、先生に最初言われたとおりのことが、君に出来ればすばらしいさ。しかし、どうだい、君は、山伏先生のまえに、自分で悪いとも考えていないことを、ほんとうに心からあやまることが出来るんかい。あやまるからには、山伏先生が今度どんな無茶を言っても、腹を立ててはならないんだよ。それが果して君に出来るんかい。」
 次郎にはさすがに返事が出来なかった。恭一は不安な顔をして、
「しかし、次郎が自分であやまるつもりなら、あやまらしてもいいんじゃないかね。」
「むろん、僕はそれをとめはせん。次郎君に自信があれば、やるがいいさ。やった結果がどうなるか、それを見るのも面白いかも知れんね。」
 次郎は追いつめられるような気がして、すっかり落ちつきを失った。恭一も、そう言われると、べつの意味で不安を感じ出した。新賀はそれまで默りこんで仏頂《ぶっちょう》づらをしていたが、急に、
「僕、もう失敬します。」
 と立ち上りかけた。
「まてよ。どうも君は気が短かくていかん。」
 と、大沢は彼を手で制して、
「どうだい、今夜は、僕、朝倉先生を訪ねてみたいと思うが、君らもよかったらいっしょに行かないか。」
 大沢のこのだしぬけな提議は、三人にとって、全く意想外だった。同時に、それは、今までの部屋の空気をいっぺんに明るくした。
「うむ、それはいい。そうすれば安心だ。次郎、行ってみようや。……新賀君もどうだい。」
 と、恭一が、いつもにない、はしゃいだ声で言った。
 新賀は、朝倉先生にはまだ近づきがなかったせいか、ちょっと躊躇するふうだったが、好奇心とも、まじめな期待ともつかぬ
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