、気は人一倍小さい方だった。この先生は、はじめての教室に出ると、きまって、先す自分の姓名を黒板に書き、それに仮名をふった。それによると「トミテル・ミチトシ」というのが、正しい読方だった。しかし、生徒たちの間では、誰一人としてそんなややこしい読方をするものがなく、陰ではいつまでたっても「ホウキョウ・ホウシュン」としか呼ばなかった。先生にしてみると、「ホウキョウ」でもいいから、せめて姓だけにしてもらうと、それでいくぶん我慢が出来るのだったが、生徒たちの方では、その下に「ホウシュン」をつけないと、感じがぴったりしないらしく、面倒をいとわないで「ホウキョウ・ホウシュンが……」「ホウキョウ・ホウシュンが……」と言うのだった。
しかし、何よりも宝鏡先生を神経質にさせたのは、自分に「彦山《ひこさん》山伏」という綽名があるのを知ったことだった。先生の郷里が大分県の英彦山《えひこさん》の附近であることはたしかだったし、また、前身が山伏《やまぶし》だったとか、少くも父の代までは山伏稼業だったとかいうことが、どこからかまことしやかに伝えられていたので、先生は、山伏という言葉がちょっとでも耳に這入ろうものなら、その日じゅう怒りっぽくなるのだった。
こんな種類の先生については、とかく、生徒間に、あることないこと、いろんな逸話が流布されるものだが、宝鏡先生についてもそれは例外ではなかった。中でも、最も奇抜なのは、――これは小使がたしかに事実だと証言したことだったが――ある雨の晩、先生が校内巡視をして宿直室にかえって来ると、その入口の近くの壁がぼんやり明るくなっており、その前に真黒な怪物が突っ立っている。先生はいきなり「何者だ!」と叫び、巨大な拳でその怪物をなぐりつけたが、怪物というのは、じつは雨合羽を着た電報配達夫だった、というのである。小使がとりわけ念入りに説明したことが真実だとすれば、配達夫は非常に腹を立て、先生を警察に引ぱって行こうとした。すると、先生は土下座をして平あやまりにあやまり、おまけに金一円を紙に包んで配達夫の手に握らせ、やっと内済にしてもらったとのことである。その頃の中学校の無資格教師にとって、一円という金が相当のねうちものであったことはいうまでもない。
この先生が板書する文字は、その巨大な体躯に似ず繊細《せんさい》で、いかにも綿密そうであり、算術や代数の式が黒板いっぱ
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