態度がいくらかずつ次郎に対して柔《やわ》らいで行くのを見て、内心喜んでいるようなふうだった。
 次郎のほんとうの気持を多少でもわかっていたのは、恭一だけだったが、彼自身がどちらかというと非活動的であり、内面的な傾向をもっているだけに、次郎のそうした変化によって、お互いの親しみが一層増してゆくような気さえしていた。
 次郎のことを、最も真面目に心配し出したのは、あるいは大沢だったかもしれない。彼はある日、恭一に向かって言った。
「次郎君が考えこんでばかりいるのを、ぼんやり眺めているのは、いけないよ。あんなふうでは、次郎君の特長は駄目になってしまう。」
「しかし、どうすれはいいんだい。」
 恭一は、大して気乗りのしない調子でたずねた。
「たまには、喧嘩の相手になってやるさ。」
「次郎は、しかし、もう喧嘩はしないよ。しないって誓っているんだから。」
「それがいけないんだ。子供のくせにひねこびた聖人君子になってしまっちゃあ、おしまいじゃないか。」
「でも、うちじゃあ、やっと喧嘩をしなくなったって、みんな喜んでいるんだからなあ。」
「そりゃあ、お祖母さん相手の喧嘩なんか、しない方がいいさ。しかし、兄弟喧嘩ぐらいは、たまにはいいよ。ことに、室崎をやっつけた時のような喧嘩なら、大いにやるがいいと思うね。」
「ふうむ。……しかしあんな喧嘩なら、今でも機会があればやるだろう。」
「どうだかね、今の様子じゃあ。……僕が一つ相手になって試《ため》してみるかね。」
「試すって、どうするんだい。」
「思いきり無茶な事を言って、怒らしてみるんだ。」
「君が何を言ったって、それを本気にはしないよ。」
「本気にするまでやってみるさ。」
「しかし、そんなにしてまで喧嘩をさせる必要があるかね。」
「あるよ。僕は、あると思うね。今のままじゃあ、妙に考えが固まってしまって、どんな不正に対しても怒らなくなるかも知れんよ。」
 大沢は頗るまじめだった。そして、次郎を怒らす機会の来るのを、本気でねらっているらしかった。しかし、その機会が来るまえに、思いがけない事件が次郎を待伏せていて、大沢の苦心を無用にしてしまったのである。

     *

 次郎たちの数学の受持に、宝鏡方俊というむずかしい名前の先生がいた。七尺に近いと思われる堂々たる体躯《たいく》の持主で、顔の作りもそれに応じていかにも壮大な感じを与えたが
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