默りこんでしまった。母は、そばでこの問答をきいていたが、相変らずほがらかな顔をしていた。僕はいよいよ母を尊敬したい気持になって来た。――しかし、僕自身、何と母に似ていないことだろう。そして何と祖母にばかり似ていることだろう。
八月二十五日
父は、朝飯をすますと、すぐ外出した。僕も、そのあと、朝倉先生をたずねた。村長になるのと養鶏をやるのと、先生はどちらに賛成されるか、訊ねてみたかったからである。
先生は、しかし、「村長も理想をもってやれば面白いだろうね。」と言ったり、「養鶏のことはよくわからんが、家族みんなで仂けて面白いかも知れんよ。」と言ったりするだけで、どちらに賛成だかわからなかった。
午後は、俊三と天神裏にまた鮒釣りに行った。今日は俊三も二尾釣った。僕は五尾。
釣をしながら、俊三に、村長と養鶏とどちらがいいか、とたずねてみたら、俊三は、「父さんが村長さんになるなんて可笑しいや。」と、ほんとうに可笑しそうに笑った。
父が帰ったのは、夜十時過ぎだった。父は、帰るとすぐ、祖母に、「話はあすにしましょう。」と言って、ねてしまった。
八月二十六日
朝食後、父は、
「お母さんさえおいやでなければ、やはり養鶏の方にきめようかと思いますが、……」
と切り出した。祖母は、
「あたし一人で反対してもなりますまいしね。」
と、変に皮肉な返事をしたが、心から反対しているようには見えなかった。しかし、すぐそのあとで、
「やっぱり住居は大巻さんの方かえ。」
と、それがあくまで不服らしかった。父は、
「実はそのことで、昨日は篤《とく》と大巻にも相談したんですが、ちょうど工合よく川っぷちに空家がありましたので、そこを借りたらということになりました。古い百姓家ですが、相当広いうちです。」
すると母が、
「あっ、そうそう。あの家がまだあいていましたわね。ちょうどあの裏に父の地所が少しばかりありますから、じゃあ、養鶏場もそこにしたらいいと思いますわ。」
と、めずらしくはしゃいだ口をきいた。
そのあと、相談はなめらかに進み、さっそく引越しの準備にとりかかることになった。僕は、急に気持が軽くなった。
しかし、いよいよ家財道具の始末をやり出すと、六年まえに村の家が没落した時の光景がまざまざと思い出されて、妙に悲しくなって来た。あの時の売立には、今から考えると、美しい鍔《
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