次郎は、それでやっと麦湯をのみ、菓子をつまんだ。
 その日、奥さんは、畑をしまって帰ろうとする次郎に、夕飯を振舞おうとしたが、次郎は、なぜか逃げるようにして帰った。そして、家に帰りつくまでに、彼は、自分にとってはやはり何もかもが「無計画の計画」だったと思った。しかし、この言葉は、最近彼が何かで覚えた「摂理」という言葉と結びついて、一層彼の胸に深まりつつあったようであった。
「運命」――「無計画の計画」――「摂理」――この三つの言葉が、彼の心の中で、殆んど同義語と思われるまでに近づいて来たということは、同時に彼の対人生の態度が、我執と反抗から一歩一歩と謙抑と調和への道を辿りつつあった証拠だといえないだろうか。

    一六 新しい出発

 次郎は、中学校にはいってから、恭一にすすめられて、ずっと日記をつけて来た。日記帳はべつにきまっていなかった。最初の一年は小形の当用日記をつかったが、かえって不便な気がして、あとでは、普通のノートをつかうことにしたのである。彼の日記には、かなりむらがあり、書きたいことがあれば、何枚でも夜ふかしをして書く代りに、日によっては一行か二行かですますこともあった。また、他人が見ては何のことだか想像もつかないほど主観的な感想をならべたところがあるかと思うと、皮肉なほど冷たい客観的描写をやっているところもあった。それに、二年の半ばごろからは、和歌や、詩などを記した頁も、しだいに多くなって来たのである。
 彼の詩心については、「次郎物語第二部」のなかでちょっとふれておいたが、それは、運命的に彼の胸の底を流れている哀愁の感情が、恭一に対する、これも運命的な競争意識に刺戟されて、最初芽を出したものであった。それだけに、彼の書いたものには、恭一のそれのような素直さや温かさはなかった。しかし、どこかに、人の心をつく感情の鋭さと、機智のひらめきとがあった。そして、年三回刊行される校友会の文苑欄《ぶんえんらん》には、きまって彼の名が見出されるようになり、たいていの生徒は、「本田白光」という彼の筆名を覚え、文芸に興味をもっている上級生の一部では、彼を天才視するものさえあったのである。
 彼の日記のなかで、分量からいっても、内容からいっても、最も目立っている部分は、何といっても白鳥会を中心とするものであった。彼の白鳥会に対する心酔ぶりは――それは朝倉先生に
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