って、意味はわからぬながらも、何か心強い気もした。同時に、それが「台なしになりそうだ」と言われたのが、新しい不安となって、彼の頭を困惑させたのである。
「私の言っていることがわかるかね。」
「わかりません。」
二人は、眼を見あったまま、ぽつんとそんな問答をとりかわした。そして、それからしばらくは、鶏のくっくっと鳴く声だけが聞えていた。
「君は、いま、狭い崖道を歩いているんだよ。」
次郎にとって、そんな言葉は、むろんもう少しも珍らしい言葉ではなかった。彼は、しかし、先生の語気や顔付にただならぬものを感じて、汗ばんだ額の下に、大きく眼を見張った。
「君は、これまで、永いあいだ苦労をして険《けわ》しい道をのぼって来たようだが、その道は、これからの踏み出しよう一つで、君をもつと高いところに導いてくれる道にもなるし、君を見る間に破滅させる道にもなるんだ。そして、その大事な踏み出しは、――」
と、朝倉先生は、しばらく考えてから、
「一口に言うと、信か不信かでそのよしあしがきまるんだ。わかるかね。」
次郎にはさっぱりわからなかった。彼は眼を地べたにおとして考えるふうだった。先生は、無理もない、という顔をして、
「信というのは、悪魔の足でも、洗ってやればそれだけきれいになる、と信ずることだ。その反対に、どうせ悪魔の足だ、きれいになるはずがない、と思うのが不信だ。君は、どうやらその不信の仲間入りをしようとしているようだが、そうではないかね。」
次郎は、やっと、先生の言っている意味がぼんやりながらわかったような気がした。そしてそういう意味でなら、自分が不信の仲間入りをしようとしていると言われても仕方がない、と思った。しかし、悪魔の泥だらけの足が、あまりにも大きく彼の前にのさばっているような気がして、それを洗わないからといって、自分が非難される道理がない、という気も同時にしたのである。彼は返事をしなかった。
朝倉先生は、彼の気持を見すかすように、
「むろん、世の中には無駄な努力ということもある。また、無駄な努力はしない方が賢明だ、というのもあながち間違いではない。しかし、人間の世の中をてんから疑ってかかって、何をするのも無駄だと考えるようになると、もうその人は崖をふみはずした人間だ。そして、そういう人間になるのも、もともとその人が卑怯だからだ。」
次郎は、またわけがわからな
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