どまりした。そのうちに、ふと何か思いついたように、本殿のうしろの、境内で最も大きい樟の木に向かってまっすぐに歩き出した。
この大樟の根元は、らくに蓆一枚ぐらい敷けるほどの楕円形な空洞になっている。近所の子供たちが、その中で、ままごと遊びなどをしているのを、彼はこれまでによく見かけていたのである。のぞいて見ると、いくぶんしめっぽそうに見えたが、十分ふみならされた枯葉が、ぴったり重なりあって、つやつや光っていた。彼は、その中にはいり、すぐごろりと仰向きにねころんで、両掌《りょうて》を枕にした。
内部の朽ちた木膚が不規則な円錐形をなして、すぐ顔の上に蔽いかぶさっている。下の方は、すれて滑らかなつやさえ出ているが、上に行くに従って、きめが荒く、さわったらぼろぼろとくずれそうに思える。円錐形の頂上にあたるところは渦巻くようにねじれていて、その奥から、闇が大きな蜘蛛の足のように影をなげている。次郎の眼が、そうした光景を観察したのも、しかし、ほんの一瞬だった。彼は、ねころぶとすぐ、ふかいため息をついて瞼をとじた。そして、心のうずきが、ぴくぴくと眉根を伝わって来るのをじっと我慢した。
「次郎は、そりゃあ、小さい時から頭の仂く子でね。それに、だいいち、思いきりがいいんだよ。」
お祖母さんがさっき言ったそんな言葉が、そのうちに、彼の記憶を否応《いやおう》なしに遠い過去にねじ向けて行った。今の彼にとっては、そんな言葉にふさわしい彼の過去は、思い出しても身の縮むようなことばかりだった。とりわけ、お祖母さんが大事にかくしていた羊羹の折箱を盗み出して、下駄でふみにじった時の記憶が、膚寒いほどの思いで蘇って来た。彼は、もう仰向けにねていることさえ出来ず、空洞の奥の方に、横向きに身をちぢめ、頭を膝にくっつけるほどに抱えこんだ。
しんとした境内に、いつから鳴き出したのか、じいじいと蝉の声がきこえていたが、それが彼の耳には、いやな耳鳴のように思えた。
彼は、とうとう日が暮れるころまでそこを動かなかった。しかし、猛烈な蚊の襲来には、さすがにいたたまれず、全身をかきむしりながら、やっとそこを出て、またあたりをぶらつき出した。見ると、拝殿の近くには、涼みがてらの参詣者らしい浴衣がけの人が、ちらほら動いている。おりおり鈴の音もきこえて来た。彼は、なぜということもなしに、自分も鈴を鳴らしてみたい気にな
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