がとりかわされ、どんな感情の波をうったかは、省いておく。とにかく、次郎は、二人の言葉で、彼が想像していた以上に店の運転がきかなくなっていることや、恭一が学資の足しを得るために、新聞配達だか、家庭教師だかの仕事を見つけようとしていること、或いはすでに見つけたかも知れないということなどを、あらまし知ることが出来たのである。
その晩、彼は、蚊にさされながら、恭一に長い手紙を書いた。それには、彼が観察したかぎりの家の事情を述べ、恭一の決心と大沢の友情をたたえ、最後に、自分もこの夏休中は店の小僧になって仂いてみるつもりだ、という意味を書きそえた。
彼は、実際、翌日からそのとおりに実行しはじめた。今では番頭格の、徴兵検査を二三年まえにすました仙吉という小僧に教わって、客足のない朝のうちに、彼はまず酒の量《はか》り方を熱心に稽古した。また元桶の酒を売場の甕《かめ》に移すやり方や、水の割りかたなども一通り教わった。そして、午後になると、自分と同い年の文六というもう一人の小僧といっしょに、襯衣《シャツ》一枚になって、徳利を洗ったり、得意先に酒を届けたり、そのほかいろいろの雑用に立ち仂いた。
俊亮も、お祖母さんも、それを見て、いいとも悪いとも言わなかった。しかし二人とも内心喜んでいる様子は少しもなかった。俊亮は、「正木のお祖父さんも、大巻のお祖父さんも、お前の夏休みを楽しんで待っておいでだったがね」と言い、お祖母さんは、俊亮のそんな言葉にも、ただにがりきっているだけだった。
お芳は、例によって、どんな気持で次郎を見ているのか、さっぱりわからなかった。番頭の肥田がいなくなって以来、俊亮の留守のおりには、ちょいちょい店の見張りに出て、何かと店のことも心得ていたせいか、わざわざ次郎の仂いているところにやって来て、自分の気のついたことを教えてやったりするのだったが、それにとくべつの意味があるとも思えなかった。
弟の俊三も、もうそのころは中学の二年だった。――彼は入学試験に次郎のようなしくじりがなかったため、年は二つちがいでも、学校は一年しかちがっていなかったのである。――頭もよく、学校の成績などは、兄弟のうち誰よりもすぐれていたが、末っ子の気持はまだぬけていず、次郎にすすめられても、白鳥会にもはいらなかったぐらいで、家の事情などには、まるで無頓着《むとんちゃく》でいるらしかった。で、
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