になっていたのである。
宝鏡先生と彼との関係は、それ以来少しも発展しなかった。一年級の終りまでは、――といっても、事件後僅か一ヵ月あまりだったが、――教室でおたがいに多少気まずい思いをしながらも、事なくすんだ。次郎の学年成績の通信表に記された数学の点は七十五点で、彼の出来栄え相当であった。ただ、彼は内心いくらか不満に思ったのは、第一、第二学期とも甲であった操行評点が乙にさがっていたことであった。しかし、彼は、それを宝鏡先生のせいにする気には不思議になれなかった。操行評点は学級主任が原案を作ってそれを職員会議にかけて決定する、ということをかねて聞いていた彼は、罪は小田先生にあるような気がしていたのである。
二年に進級すると、数学の受持の先生が変って、次郎は、宝鏡先生とはほとんど顔をあわせる機会がなくなった。彼はそれでほっとした気にもなったが、また一方では、先生が二年級について来なかったということが、全く自分のせいででもあるような気がして、何かすまない気持だった。そして、式や何かの場合には、彼はいつも、講堂の隅っこの席に行儀よくかしこまっている先生の姿を、遠くから注意ぶかく眺めていた。彼の眼には、先生の姿がいつもしょんぼりしているように見えた。人なみはずれた巨大な体躯であるだけに、それが一層淋しく思えるのだった。そんな時、彼がきまって思い出すのは、朝倉先生の「課題」だったが、それは時として彼を物悲しくさえさせるのだった。
こうして、とうとう彼は三年に進んだが、その第一学期の試験も明日で終るという日の朝、彼が校門をはいると、すぐ右手にある掲示場の前に、十四五名の生徒がたかって、やんやと何かはやし立てていた。中には、遠方にいる生徒たちを大声で呼んだり、手招きしたりしているものもあった。彼も、ついそれに誘われて、急いで近づいてみると、そこには黒塗の掲示板が二枚かかっており、まだ十分に乾ききれない白堊の毛筆書きで、その一方には、「教諭心得宝鏡方俊、願ニ依リ本職ヲ免ズ」とあり、もう一方には、「明○○日第一学期終業式後宝鏡先生ノ送別式ヲ行ウ」とあった。次郎は、それを見た瞬間、妙に胸をしぼられるような気がした。そして、しばらくは白堊の文字を見つめたまま、ほかの生徒たちの騒ぎの中に、じっと突っ立っていた。
「とうとうやめたのか。」
「しかし、よく辞職したね。」
「論旨《ゆし》さ、
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