、自然その娘も気位が高くなるものでね。このお祖母さんは、お前たちのお母さんでどれほど苦労をしたか知れやしないよ。」
 これが、何かにつけ、お祖母さんの言いたがることだった。また、
「気がきつくて、素直でないところは、次郎がお母さんそっくりだよ。恭一なんかお母さんにはちっとも似ていないがね。」
 などとも言った。これには、はたで聞いていた恭一も、いやな顔をした。次郎はなおさらいやだった。自分が悪く言われるのは、慣れっこになっていて、もうさほどには腹も立たなかったが、彼にとっては神聖なものになりきっている母が少しでも傷つけられることは、何としてもたえがたいことだった。
 彼は、しかし歯噛みをしてそれをこらえた。こらえなければ、一層母が悪者になるような気がしたのである。
 彼が本田に行きたがらない理由は、正木一家にも、むろん、よく解っていた。で、正木のお祖父さんは、最近しばしば俊亮にそのことを話して、次郎が中学校へ入学したあとの始末について、十分考えてもらうことにした。しかし、俊亮はその話になると、いつもため息をつくだけだった。
 寄宿舎に入れる手もあり、また、少しは無理でも正木の家から自転車で通わせるという方法も考えられないではなかったが、いずれにせよ、近くに自家《うち》があるのにそんなことをしては、ますます次郎をひがましてしまうのではないか、という心配が俊亮にはあった。実は、次郎本人が知ったら、その方をどのくらい望んだか知れなかったのだが、俊亮としては、そのことについて次郎の気持をきいてみることさえ、よくないことのように思われるのだった。それに、商売の方も、不慣れなために、とかく手ちがいだらけであり、次郎のために特別の支出でもすることになれば、それこそお祖母さんが默ってはいまいし、正木から通わせることにすればその方の心配はないとしても、世間の思わくというものを、元来そんなことにはわりあい無頓着《むとんちゃく》な俊亮も、さすがに無視するわけにはいかなかったのである。
(いっそ養子にでもやってしまおうか。)
 俊亮は、ふとそんなことを考えてみたこともあった。しかし、それは、彼の良心、――というよりは、彼の次郎に対する愛情が許さなかった。
 彼は、次郎を見ると、このごろ涙もろくさえなっていたのである。
 この問題は、実を言うと、お民の葬式がすむとすぐから、ないない誰の気にもかかっていたことで、法事のたびごとに、ひそひそと囁《ささや》かれていたのだが、四十九日が過ぎ、百ヵ日が過ぎ、その年も暮近くになって、やっと正木の老人から俊亮に話し出したのだった。
 それでも、結局、解決がつかないままに年があけてしまったのである。

    二 万年筆

「次郎、父さんは、今日正木へ行く用が出来たんだが、いっしょに行かないか。」
 朝飯をすまして、火鉢のはたで、手紙の封をきっていた俊亮が、だしぬけに言った。
 次郎は正月を迎えるために本田に帰って来ていたが、むろん、一日だってお祖母さんに不愉快な思いをさせられない日はなかった。恭一や俊三といっしょに、父と一度映画館につれて行ってもらったほかに、正月らしい気分は何一つ味わえず、とりわけ、食卓での差別待遇が、母にわかれてからの彼のしみじみとした気持を、めちゃくちゃにしそうだった。で、休みはまだあと二日ほど残っていたが、父にそう言われると、彼は飛び立つように嬉しかった。
「すぐ行くの? 僕、じゃあ、カバンを取って来るよ。」
 彼は、そう言って、二階へかけあがった。
「だしぬけに、どうしたんだね。」
 と、まだちゃぶ台のそばで茶を飲んでいたお祖母さんが、不機嫌そうに、俊亮にたずねた。
「いや、歳暮《くれ》にも無沙汰をしていますし、どうせ一度行って来なければなりますまい。」
「でも、今年はまだ忌《いみ》があるんじゃないのかい。」
「そりゃそうです。しかし、べつに年始というわけではありませんから。」
「じゃあ、松の内でも過ぎてからにした方が、よくはないのかい。あんまり物を知らないように思われても、何だから。」
 俊亮は苦笑した。そして、ちょっと何か考えていたが、
「じつは、今、正木から至急の手紙が来ましてね。」
 と、膝の前に重ねて置いた四五通の手紙に眼をやった。
「何を言って来たのだえ。」
 お祖母さんは、急いでちゃぶ台のそばをはなれ、不機嫌と好奇心とをいっしょにしたような眼つきをして、俊亮の火鉢の前に坐った。
「今日の夕刻までに、是非来てくれというんです。」
「そんな急な用件って、何だね。」
「それは、行ってみないと、はっきりしませんが……」
「何とも書いてはないのかい。」
「ええ……」
 俊亮の返事は少しあいまいだった。
「用件も書かないで、人を呼びつけるなんて、ずいぶん失礼だとは思わないのかい。」
 俊亮はまた苦笑しながら、
「親類仲でそうこだわることもありますまい。それに、こちらのことを気にかけてのことらしいのですから。」
「こちらのこと? すると何かい、こちらのことで何か相談がある、と書いて来ているんだね。」
 と、お祖母さんは、何か不安らしい眼をして、じろじろと手紙に眼をやった。
「そうらしく思われます。ご覧になりたけりゃ、ご覧下すってもいいんです。」
 俊亮は、渋い顔をしながら、正木からの手紙をぬきとって、お祖母さんの方につき出した。
「べつに、わたしが見なけりゃならん、ということもないのだけれど……」
 お祖母さんは、そう言いながら、手をひろげて、念入りに読みだした。しかし「委細《いさい》は拝眉《はいび》の上」とあるきりで、はっきりしたことは何も書いてなかった。ただ「次郎の行末とも、自然関係ある儀に付、云々《うんぬん》」という文句だけが、強くお祖母さんの眼を刺戟した。
 俊亮は、お祖母さんに構わず立ち上った。
「夕方までに行けばいいのなら、お午飯《ひる》でもすましてからにしたら、どうだえ。手紙を見たからって、そういそいで行くこともあるまいじゃないかね。」
 お祖母さんは、もう一度、読みかえしていた手紙を膝の上に置いて、俊亮を見た。俊亮が出かける前にもっとよく話し合っておきたい、というのがその肚《はら》らしかった。俊亮は、しかし、
「日も短いし、早く行って、早く帰った方がいいんです。」
 と、すぐ立ち上って次の間の箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》から自分で羽織を出しかけた。
 次郎は俊三と肩を組んで元気よく二階からおりて来た。そのあとから恭一もついて来た。
「お祖母さん、次郎ちゃんはもう帰るんだってさあ、まだ休みが二日もあるのに。」
 俊三が訴えるように言った。
 お祖母さんは、しかし、それには答えないで、次郎のにこにこしている顔を、憎らしそうに見ながら、
「お前は正木へ行くのが、そんなに嬉しいのかえ。」
 次郎の笑顔は、すぐ消えた。彼は默って次の間から出て来た父の顔を見上げた。
「何か、お土産になるものはありませんかね。」
 俊亮は、その場の様子に気がついていないかのように、お祖母さんに言った。
「何もありませんよ。」
 と、お祖母さんは、極めてそっけない。
「じゃあ、次郎、店に行って、壜詰《びんずめ》を三本ほど結《ゆわ》えてもらっておいで。」
 次郎はすぐ店に走って行った。
「店の品じゃ可笑《おか》しくはないかい。それに重たいだろうにね。」
 お祖母さんは、店の壜詰棚が、このごろ淋しくなっているのをよく知っていたのである。
「なあに――」
 と、俊亮は一旦火鉢のはたに坐って、ひろげたままになっていた手紙を巻きおさめながら、
「何か、次郎にやるものはありませんかね。」
「次郎に? ありませんよ。」
「食べものでもいいんです。……もしあったら、お祖母さんからやっていただくといいんですが……」
 お祖母さんは、じろりと上眼で俊亮を見た。それから、つとめて何でもないような調子で言った。
「飴だと少しは残っていたかも知れないがね。でも、珍しくもないだろうよ。毎日次郎にもやっていたんだから。」
 俊亮は、もう何も言わなかった。そして、巻煙草に火をつけて、吸うともなく吸いはじめた。すると、その時まで默っていた恭一が、お祖母さんの方を見ながら、用心ぶかそうに、
「僕、次郎ちゃんに、こないだの万年筆やろうかな。」
「歳暮《くれ》に買ってあげたのをかい。」
 と、お祖母さんは、とんでもないという顔をした。
「ええ。」
「お前、どうしてもいると言ったから、買ってあげたばかりじゃないかね。」
「僕、赤インキをいれるつもりだったんだけれど、黒いのだけあればいいや。」
「また、すぐ買いたくなるんじゃないのかい。」
「ううん、色鉛筆で間にあわせるよ。」
「でも、次郎は万年筆なんかまだいらないだろう。」
「いらんかなあ。でも、次郎ちゃん、ほしそうだったけど。」
「あれは、何でも見さえすりゃ、ほしがるんだよ。ほしがったからって、いちいちやっていたら、きりがないじゃないかね。」
 お祖母さんは、恭一に言っているよりは、むしろ俊亮に言っているようなふうだった。
 恭一は默って俊亮の顔を見た。俊亮は、巻煙草の吸いがらを火鉢に突っこみながら、
「お前は、次郎にやってもいいんだね。」
「ええ……」
 と、恭一は、ちょっとお祖母さんの顔をうかがって、あいまいに答えた。
「じゃあ、やったらいい。お前のは、また父さんが買ってあげるよ。」
 お祖母さんは、ひきつけるように頬をふるわせた。そして、急にいずまいを正しながら、
「俊亮や、お前は、あたしが次郎にやりたくないから、こんなことを言うとでもお思いなのかい。あたしはね、どの子にだって、いらないものを持たせるのは、よくないと思うのだよ。それに……」
 俊亮は顔をしかめながら、
「ええ、もうわかっています。お母さんのおっしゃることはよくわかっています。しかし、私は、恭一のやさしい気持も買ってやりたいと思ったんです。次郎の身になったら、それがどんなに嬉しいでしょう。兄弟の仲がそうして美しくなれたら、万年筆一本ぐらい、いるとかいらないとか、やかましく言う必要もないじゃありませんか。」
 お祖母さんは、恭一のやさしい気持を買ってやりたい、と言った俊亮の言葉には刃向かえなかった。しかし、そのあとがいけなかった。次郎を喜ばせることは、お祖母さんにとっては、むしろ不愉快の種だったし、それに、万年筆一本ぐらいどうでもいいようなふうに言われたのには、何としても我慢がならなかった。
「ねえ俊亮や――」
 とお祖母さんは声をふるわせながら、
「ほしがるものなら何でもやるがいい、と、お前がお考えなら、あたしはもう何も言いますまいよ。だけど、子供たちのさきざきのためを思ったら、ちっとは不自由な目も見せておかないとね。……何よりの証拠《しょうこ》がお前じゃないのかい。一人息子で、あまやかされて育ったばかりに、お前も今のような始末になったんだと、あたしは思うのだよ。そりゃあ、悪かったのはあたしさ。あたしの育てようが悪かったればこそ、御先祖からの田畑を売りはらって、こんな見すぼらしい商売を始めるようなことにもなったんだろうさ。だから、あたしは、罪ほろぼしに、孫だけでもしっかりさせたいと思うのだよ。それがあたしの仏様への……」
 お祖母さんは、袖を眼にあてて泣き出した。俊亮は、恭一と俊三とが、まん前にきちんと坐って、いかにも心配そうに自分を見つめているのに気がつくと、さすがにたまらない気持になったが、あきらめたように大きく吐息をして、店の方に眼をそらした。
 その瞬間、彼は、はっとした。一尺ほど開いたままになっていた襖《ふすま》のかげから、次郎の眼が、そっとこちらをのぞいていたのである。次郎の眼はすぐ襖のかげにかくれたが、たしかに涙のたまっている眼だった。
「次郎!」
 俊亮は、ほとんど反射的に次郎を呼び、
「さあ、行くぞ。」
 と、わざとらしく元気に立ち上った。そしてマントをひっかけながら、
「じゃあ、恭一、万年筆はせっかくお祖母さんに買っていただいたんだから、大事にしとくんだ。」
 それから、お祖母さんの方
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