去の「運命」は、今から考えると、むしろ、その幸福な日曜日の準備であったらしく思われる。彼の「愛」についての理解が、人に愛せられることから、人を愛することに一|大《だい》飛躍《ひやく》をとげ、従ってまた彼の魂が「永遠」への門を、たしかに一つだけはくぐることが出来たのも、全く彼の過去の「運命」のおかげだった、と言わなければなるまい。
 だが、次郎はまだようやく中学一年である。彼の「運命」の波はこれからまたどう高まって行くか知れたものでない。彼も恐らくそれを覚悟していることであろう。そして、彼がその覚悟どおりの人間であるかどうかは、実際に彼をその「運命」の波を漂わしてみなければわからないことである。で、もし私が、今後も、これまでどおり彼の身ぢかにいて、彼を見守ることが出来さえすれば、「青年次郎物語」とでもいったようなものを書いて、その報告をしたいと思っている。しかし、そうした縁が果して都合よく私に恵まれるか、どうか、それはやはり「運命」に任せるより仕方がないであろう。
「なぜもっと早く次郎を青年に育てなかったか」という一部の読者の抗議に対しては、どんな人間でも育つ時が来なければ育つものではな
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