りでに浮かんで来るのは、観音さまに似た母の顔だった。
 もっとも、月日がたつにつれて、この二つの顔は、次郎のその時の気分しだいで、どちらになることもあった。そして、三四ヵ月もたったころには、彼は自分でも気づかないうちに、観音さまに似た顔ばかりを思い出すようになっていたのである。
 彼は、乳母のお浜におりおり手紙を書くことを忘れなかった。お墓詣りをした時には、葉書ぐらいはきまって出した。また、綴方の時間に「地下に眠る母」を書いて出したのを後悔していたにもかかわらず、お浜には、三重圏のついたその綴方をそのまま送ってやり、教室で先生に朗読してもらったことまで書きそえてやった。
 お浜に手紙を書く時の彼の気持は極めて自由だった。彼は、彼自身のことについてはむろんのこと、彼の周囲のことについても、町の本田一家のことについても、彼の知っていることなら、何でも書いていいような気がしていた。もっとも、実際に書いたのは、たいていお浜が喜びそうなことばかりだった。本田のお祖母さんについては、ただ一度だけ、「お祖母さんは、まだ僕をあまり好きでないようだが、僕はもうちっとも困らない。」と書いたきりだった。
 
前へ 次へ
全305ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング