祖父さんにご挨拶してないんだよ。」
これは、むろん嘘だった。彼はさっき茶の間にあがるとすぐ、まっさきにお祖父さんに挨拶をすましていたのである。
彼は、言ってしまって嫌な気がした。このごろめったに小細工をやらなくなっている彼ではあったが、何かの拍子に、われ知らずそれが出る。そしていつも後悔する。後悔はするが、すなおに小細工をひっこめる気にはなかなかなれない。その結果、一層まずい小細工をやって、あとでは手も足も出なくなってしまうことが多い。そんな時にかぎって、彼には母やお浜の顔を思い浮かべる余裕がない。それを思い浮かべるのは、たいてい何もかもすんでしまったあと、ひとりで、にがい後悔のあと味を噛みしめている時なのである。
「じゃあ、すぐ行っておいでよ。」
久男が年長者らしく言った。むろん次郎がどんな気持でいるのか、それにはまるで気がついていなかったらしい。
「すぐまた、ここにおいでよ。これから餅を焼くんだから。」
源次が芋の皮を炉に投げこみながら言った。
次郎は変にそぐわない気持で立ち上った。すると誠吉が、
「餅なら、僕がとって来らあ。……次郎ちゃん行こう。」
と、次郎と肩をくみ
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