》として校庭を出た。
校門を出て五六分も行くと、天満宮の前だった。
権田原先生は、そこでみんなにひとりびとり拝殿の鈴を鳴らさした。それから、また列を作って歩き出したが、しばらくたつと、みんなはもうわいわいはしゃぎ出し、列もいつの間にか乱れて、道いっぱいにひろがり、先頭も後尾もないようになった。先生は、それでも何とも言わないで、例のとおり、ふとった頸の肉を詰襟のうえにたるまして、のそのそと歩いていた。が、だしぬけに立ちどまって、うしろをふり向いたかと思うと、
「こらあっ!」
と、破鐘《われがね》のような声でどなりつけ、にぎり拳を高くふりあげた。
みんなは、一瞬ぴたりと足をとめて、先生を見た。しかし、誰も心から恐怖を感じているようには見えなかった。先生のにぎり拳はいかにも豪壮だったが、その眼は微笑をふくんで、みんなの頭ごしにずっと遠くの方を見ているように思えたのである。
先生は言った。
「勝手に列をくずしたり、おしゃべりをしたりするのは卑怯《ひきょう》だぞ。先生の眼はうしろにはついとらんからな。」
そして、そう言ってしまうと、すぐまたくるりと向きをかえて、のそのそと歩き出した。みんなは、自分たちで、校庭を出た時のようにきちんと列を正し、しずかにそのあとについた。が、それで一丁ほども歩いたかと思うと、先生は、今度は、前を向いたまま、弁当をぶらさげていた左手を高くふりあげて言った。
「うむ、それでいい、もうそれでおしゃべりをはじめても構わん。ついでに列をくずすことも許してやろう。別れっ。みんな先生より先に行くんだ。いつまでも先生のあとにばかりついているような人間は偉くなれん。試験も落第だ。」
みんなは、いっせいにわっとわめいて、先生を半丁ほども追いぬいた。中には一丁以上も追いぬいたものがあった。次郎もみんなといっしょに先に出るには出たが、しかし、みんなのなかでは、彼が一番あとで、先生との距離は五間とははなれていなかった。彼は、みんなといっしょになってはしゃぐ気がしなかったのである。
おおかた十四五分間も、彼は誰とも口をきかないで歩いた。まだ芽をふかない道ばたの櫨《はぜ》の木から一羽の大きな鴉《からす》が、溜池の向こうの麦畑に舞いおりて、首をかしげながらこちらを見ているのが、妙に彼の心をひいた。彼は、その鴉を見た眼で、ひょいとうしろをふりかえって見た。すると、権田原先生もその鴉を見ていた。しかし、次の瞬間には、二人の眼がぶっつかった。先生の眼は無表情なような、それでいて次郎の心を捉えずにはおかない、深い眼だった。
次郎は、何かきまりわるいような気がして、いそいで正面を見た。すると先生が言った。
「本田、お前は先生といっしょに歩け。」
二人はすぐ並んで歩き出した。しかし、どちらも、しばらくは口をきかなかった。
「君は中学校にはいると、いよいよ本田の人になるんだね。」
五六分もたってから、先生がやっと言った。
次郎は、答える代りにそっと先生を見上げた。すると先生がまた言った。
「君が正木のお祖父さんのうちに行ってから、もうどのくらいになるかね。」
「四年生からです。」
次郎は今度ははっきり答えた。しかし彼の眼は自分の足先ばかり見ていた。
「ふむ、そうだったね。先生が君らの受持になった年の夏からだったね。……ふむ。」
次郎は、正木のお祖父さんが、その頃めずらしく学校にやって来て、権田原先生と教員室で何かしきりに話しあっていたことがあったのを思い起した。
「ふむ、するともうあれから二年半になるんか、ふむ」
先生は、それから、何度も思い出したように、「ふむ」をくりかえした。次郎は、その「ふむ」を聞きながら、いまに先生が、亡くなった母や、今度の母のことを言い出しそうな気がして、妙に緊張した気分になっていた。先生は、しかし、とうとうそれには触《ふ》れなかった。
「先生、合宿ってどんなことをするんですか?」
かなり沈默がつづいたあと、今度は次郎がたずねた。
「合宿か――」
と、権田原先生はちょっと言葉をきって、
「合宿は何でもないさ、いっしょに食って寝るだけだよ。」
次郎は、先生がわざとそんなふうに言っているような気がして、何か物足りなかった。
「合宿なんかより、自分の家《うち》がいいさ。」
権田原先生は、しばらくして、またぽつりとそう言った。次郎は、しかし、それも先生の本心から出た言葉でないように思って淋しかった。
ほかの児童たちは、もうその頃には、めいめい一本ずつの竹ぎれや棒ぎれを握って、ちゃんばらの真似をしたり、並木の幹や枝をなぐりつけたりしながら、歩いていた。先生は、それに気がつくと、だしぬけに例のどら声をはりあげて怒鳴った。
「おうい、默って立っている木をなぐるのは卑怯だぞうっ。」
「卑怯だぞ」というの
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