いや。ねえ、恭ちゃん。」
恭一はにがい顔して、じっと次郎を見つめた。見つめられて、次郎ははっとしたように目を伏せた。
(ませっくれ!)
彼は恭一にそう叱られているような気がしたのである。
俊亮も、二人の様子にすぐ気づいた。彼は、しかし、今は次郎の努力を買ってやりたい気持でいっぱいだった。いつもなら、次郎のませっくれた態度が誰よりも気になる彼だったが、なぜか今日は、次郎をそんなふうにみる気には、少しもなれなかったのである。
「ほんとうにお祖母さんもどうです。こんなときに、お祖母さんがついて行って下さると、大巻でも、そりゃあ喜びますよ。」
「そうねえ。」
と、お祖母さんは、気のあるような、ないような返事をして、しばらく思案《しあん》していたが、ふと何かを思いついたように、
「そうそう、こうなれば、あたしより俊亮が行くのが、ほんとうだよ。ねえ、次郎、そうじゃあないかい。」
お祖母さんは、ずるそうな、しかし、まったく上機嫌な顔をして俊亮と次郎との顔を見比べた。
「私が?」
と、俊亮は、次郎のどぎまぎしている様子に、ちらりと眼をやりながら、自分もいくぶんうろたえて、
「そ、それはいけません。私は店のこともありますし、やはり、今日はお祖母さんに行っていただく方がほんとうですよ。」
「いいや、お前の方がほんとうだよ。店は、お前が留守でもこれまでだって、一日ぐらいどうにかなっていたんじゃないかね。」
「でも、お祖母さんがお一人でお留守番では……」
「なあに、留守番なら、あたしの方がお前より、はまり役だよ。男の留守番では、お茶をわかすにも困るじゃないかね。」
「いっそ、父さんも、お祖母さんも、行っちまったら、どうです。」
と、恭一がだしぬけに口を出した。もう、さっきの不愉快そうな顔は、どこにもなく、何か喜びに興奮しているようなふうだった。
みんなが、いっしょに声を立てて笑った。
「なるほど、そいつも一案だ。どうです、お祖母さん、恭一がああ言っていますが。」
俊亮が、そう言うと、恭一は、お祖母さんが答えるまえに、
「一案じゃないんです。絶対案です。ねえ、お祖母さん。」
お祖母さんは、眼をきょろきょろさして、
「ぜったいあんって、何だね。」
俊亮と恭一が、それでまた高笑いした。俊亮は、
「名案だって言うんですよ。」
すると、恭一が追っかけるように、
「きょうは、お祖母さんも、僕の言うとおりにならなきゃあならないことですよ。」
「まあ、まあ大変なことになったね。」
と、お祖母さんはお浜を見て、にこにこしながら、
「じゃあ、あたしもお浜のお伴《とも》をさしてもらいましょうかね。」
お浜は、もうその時、眼にいっぱい涙をためていたが、やにわに畳につっ伏して、
「みなさん、ありがとうございます。勿体のうございます。」
みんなは、それから、涼しいうちにというので、大急ぎで朝飯をすまし、支度をはじめた。俊亮は、その間に、店の者に命じて、蒲鉾《かまぼこ》だの、罐詰だの、パンだのを買い集めさせ、それをいくつにもわけて包ませた。ビールが何本か縄でしばられたのはいうまでもない。
「夕飯まえには帰って来るが、おひるは、何かですましておいてくれ。」
そう店の者に言って、みんなが家を出たのは九時近くだった。
お祖母さんのほかは、めいめい何か包をぶらさげていた。ビールは恭一と次郎の二人が捧につるしてかついだ。陽はもうかなり強く照りつけていたが、風があって、さほどの暑さでもなかった。みんなはいかにも楽しそうだった。お芳でさえいくぶんはしゃぎ気味だった。実際こんなことは、本田家はじまって以来の出来事だったのである。
むろん、誰も次郎をませっくれだなどと思っているものはなかった。次郎自身でも、さっきそんなことを自分で気にしたことなど、もうすっかり忘れていた。彼の眼には、おりおりお鶴の赤い日傘がちらついた。そして、今日こうして、みんなで大巷を驚かすのも、あの日傘がもとだと思うと、彼はまた「運命」というものを考えないでおれなかった。
彼は町はずれまで行くと、恭一に言った。
「きょうは何だか嘘みたいだなあ。父さんやお祖母さんまでが、いっしょに来るなんて……。でもあの時は恭ちゃんもうまくやったよ。」
「なあに、あんな工合になったのは、やっぱり次郎ちゃんの力さ。」
「そんなことないよ。」
次郎は、そうは答えながらも、何か誇らしい気持だった。
(自分は、もう、どんな運命にぶっつかっても、それを生かしてみせるんだ。)
そうした自信が、大巻の家に近づくに従って、彼の胸の底に次第に強まりはじめていたのである。
*
「次郎物語第二部」は、こうして、次郎にとってこれまでにない幸福な日曜日に、その結末を告げることになった。次郎の一見極めて不幸であった過
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