文句が書いてあった。
「本月八日御地に参上の用件これあり、その節は久々にて次郎様にもお目にかかり度、それを何よりの楽しみに致居候」
 俊亮は、次郎が学校から帰ってくると、待ちかねていたように、彼にその葉書を見せた。そして、久方ぶりに彼の頭をかるくぽんとたたいた。
 次郎は、さすがに心が躍った。しかし、彼は、
「ふうん。」
 と言ったきり、葉書を父にかえして、二階にかけ上った。
 机のまえに坐った彼の眼には、たった今、茶の間で、自分の顔を見つめていた祖母と母との眼が、いつまでもはっきり残っていた。

    一七 小刀

 七月八日は、ちょうど土曜だった、普通の授業は午前中ですみ、午後に、剣道の時間が一時間だけ残されているきりだった。
 次郎は、教室で弁当を食べながら、お浜のことばかり考えていた。
(あの葉書には、汽車の時間が書いてなかったが、もう、うちに来ているのだろうか。来ているとすれば、今ごろは、自分のことがきっと話の種になっているにちがいない。お祖母さんはどんなことを乳母やに話しているのだろう。……乳母やと今度の母さんとははじめて会うのだが、おたがいに、どんなふうな挨拶を交わしたのだろう。)
 次郎は、それからそれへと想像をめぐらし、はては、みんなの坐っている位置や、ひとりびとりの表情などをこまかに心に描いてみるのだった。そんなことは、このごろの彼には、あまり似つかないことだったのである。
 弁当は、いつの間にか空になっていた。次郎は、しかし、箸を握ったまま、いつまでも机に頬杖をついてぼんやり窓の外をながめていた。
 窓の五六間さきは道路で、学校の敷地との境は、木柵で仕切ってある。次郎は、見るともなく木柵を見ているうちに、急に「おや」と思った。木柵の外を二人づれの女が通り、その一人がお浜そっくりに見えたからである。
 彼は、弁当がらをそのままにして、やにわに外に飛び出した。そして、木柵と銃器庫との間を、その女の歩いて行く方向に走った。
 うしろ姿は、どう見てもお浜だった。次郎はあぶなく声をかけるところだった。しかし、彼女と並んで向側《むこうがわ》を歩いている女が、赤い日傘をさした十五六歳の少女だと気がつくと、声をかけるのが妙にためらわれた。もし人ちがいだったら……と思うと、少女の手前、いよいよ声が出せなくなるのだった。
 彼は、顔を正面に向けて、そのまま彼らを追いこした。そして三四間も抜いたと思うころ、廻れ右の練習でもやっているようなふうを装って、木柵の隙間から二人の顔をのぞいて見た。
 やはりお浜にちがいなかった。向こうもこちらを見ていた。そしてこちらが声をかけるまえに、
「まあ!」
 というお浜の頓狂な声がきこえた。
 木柵をへだてて、次郎とお浜とは向きあった。お浜の顔は、もう半分、木柵の間から、こちらに突き出している。
「まあ、まあ、お宅にあがるまえに、こんなところでお目にかかれるなんて、全く不思議ですわ。……でも、……」
 と、お浜はけげんそうに柵の内を見まわしながら、
「どうして、こんなところに、たったお一人でおいでなの?」
「僕、乳母やだと思ったから、ここまで追っかけて来てみたんだよ。」
「そう? そうでしたの? よく見つけて下すったのね。あたし、今朝着きましたけれど、この近所に用があったものですから、ついでに、坊ちゃんの学校をそとから覗かせていただきたいと思って、わざとこの道をとおってみたところですの……。でも、こんなところでお目にかかれるなんて、ちっとも思っていませんでしたわ。」
 次郎はうつむいて制服のボタンをいじくっていた。お浜は彼の姿を見あげ見おろしながら、
「あれから、もうそろそろ二年ですわね。でも、なんて大きくおなりでしょう。そうして制服を着ていらっしゃると、よけいお見それしますわ。今は坊ちゃんお一人だったから、すぐわかりましたけれど。」
 お浜はそう言って、うしろをふり向いた。
「坊ちゃん、あの子、誰だかおわかり?」
 次郎はうなずいた。彼は、お浜のうしろに立っている少女がお鶴であることが、もう、さっきからわかっていたのである。
 お鶴は、ややうつむき加減に、左頬を見せていた。白いものを少し塗っているので、以前ほどに眼立たなかったが、お玉杓子に似たあざは、やはり、もとのままだった。
「あの子も大きくなったでしょう。今日は、今から二人でお宅にお伺いしますわ。……坊ちゃんは何時ごろお帰り?」
「二時までだけれど、剣道だから、ちょっとおそくなるよ。」
「でも、三時頃には、お宅にお帰りになれるでしょう。あたしも、ちょっと買物をしますから、たいてい、ごいっしょごろになりますわ。お宅でゆっくり話しましょうね。」
「僕、なるだけ早く帰るよ。」
 次郎は、そう言って、柵をはなれながら、ちらっとお鶴の方に眼をや
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