は、それが世にもすばらしいことのように思えた。そのために、彼の恭一に対する敬愛の念は、これまでとはちがった意味で深まって行った。が、同時に、彼が、何かしら、恭一に対して妬《ねた》ましさを感じはじめたことも、たしかだった。
(今に、僕だって、……)
 彼は校友会誌に目をさらしながら、おりおり心の中でそうつぶやいた。彼が幼い頃恭一に対して抱いていた競争意識は、こうして、知らず織らずの間に、形をかえて再び芽を吹きはじめているらしかった。
 次郎と詩、――読者の中には、この取合わせを多少滑稽だと感じる人があるかも知れない。なるほど、次郎は、詩を解するには、これまで、あまりにも武勇伝的であり、作為的であったといえるだろう。
 だが聰明な読者ならば、彼のそうした行為の裏に、いつも一脈の哀愁《あいしゅう》が流れていたことを決して見逃がさなかったはずだ。実際、哀愁は、次郎にとって、過去十五年間、切っても切れない道づれであったとも言えるのである。彼の負けぎらい、彼の虚偽《きょぎ》、彼の反抗心と闘争心、およそそうした、一見哀愁とは極めて縁遠いように思われるもののすべてが、実は哀愁のやむにやまれぬ表現であり、自然が彼に教えた哀愁からの逃路だったのである。そして、もし「自然の叡智《えいち》」というものが疑えないものだとするならば、次郎の心がそろそろと詩にひかれていったということは、必ずしも不似合なことではなかったであろう。というのは、何人も自己の真実を表現してみたいという欲望をいくぶんかは持っているし、そして、哀愁の偽りのない表現には、詩こそ最もふさわしいものだからである。
 だが、彼の詩について、これ以上のことを語るのは、今はその時期ではない。何しろ、彼はまだ、歌一首作るにも、指を折って字数を数えてみなければならない程度の幼い詩人だったし、それに、恭一の詩に対してある妬ましさを感じていたとしても、彼の身辺には、詩以上に切実な問題がまだたくさん残されていたからである。
 第一、入学の当初から、五年生の間に「生意気な新入生」として有名になっていた彼は、彼らに鉄拳制裁の口実を与えまいとして、校内では無論のこと、ちょっと散歩に出るのにも、始終頭をつかい、気を張っていなければならなかった。「狐」や「三つボタン」のような上級生に対して、卑屈《ひくつ》にもならず、言いがかりもつけられないようにするには、次郎の苦心も、実際並たいていではなかったのである。彼はちょっと門口を出るのにも、必ず制服制帽をつけていた。街角では、一応四方を見渡して、五年生の姿が見えると、相手がどこを見ていようと、それに対してきちんと敬礼をした。むろん、校則は、どんな些細なことでもよく守った。その点では、人一倍細心な恭一ですら、彼の几帳面《きちょうめん》さをおりおり冷やかしたくらいであった。その代り、彼は、今後五年生に無法な暴行を加えられたら、退学処分の危険を冒しても、思いきって反抗を試みようと、固く心に誓っていた。彼が彼の小刀《ナイフ》を筆入に入れないで、いつも衣嚢《かくし》に入れていたのも、実はそのためだったのである。
 彼は、一年生の全部とはいかなくとも、少くとも彼の組の生徒だけでも、彼と同じ気持になってもらうことを、心から望んでいた。彼はある日、五六名のものに真剣にその気持を話してみた。しかし、誰もが反対もしなければ賛成もしなかった。落第して同じ一年にとどまっていた一生徒などは、嘲るように「ふふん」と答えたきりだった。で、彼はそれっきり、誰にもそのことを言わなくなってしまった。
 何よりも彼がなさけなく思ったのは、彼の同級生が――竜一や源次ですらも――彼と親しくしているところを上級生に見られると、妙にそわそわして、彼のそばを離れようとすることだった。彼はすぐ彼らの気持を見ぬいた。そして心の中でひどく憤慨した。思いきって彼らを面罵してやろうかと思ったことさえ何度かあった。しかし彼はいつもそれを思いとまった。
(五年生に口実を与えてはならない。)
 それが、その頃、彼の行動を左右する第一の信条だったのである。
 こうして、彼は、彼の同級生の間に、一人として心の底から交わりうる新しい友人を見出さなかった。そればかりか、竜一や源次ですら、もう彼にとっては、心からの親友でも、従兄でもなくなったのである。むろん、小学校時代に培われた温い感情が、そう無造作に冷めてしまうわけはなかった。で、次郎の彼らに対する気特には、他の同級生に対するのとは、まだかなりちがったところがあり、また、彼が土曜から日曜にかけて彼らの家を訪ね、見たところ以前と少しも変らない親しさで遊んだりすることもしばしばだったが、そうしたことは、所詮《しょせん》、過去の酒甕《さかがめ》からしたたって来る雫《しずく》のようなもので、彼の注意
前へ 次へ
全77ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング