てみたりして、次郎の様子に注意していたこともあった。しかし次郎は、そんな時にも、いつも「大人」であり、めったに笑いも怒りもしなかった。
 ところが、ある朝――それは夏休みが過ぎて間もないころのことだったが、――権田原先生が出勤すると、もう校長が教員室に待っていて、いかにも仰山らしく言った。
「君、ゆうべは大変なことがありましたね。何でも君の組の本田が主謀者《しゅぼうしゃ》らしいですよ。」
 だんだん聞いてみると、次郎たちの仲間が十四五名で、隣村の青年たち四五名と、大川の土堤で乱闘をやり、相手にかなりひどい傷を負《お》わせたというのである。
「とにかく、さっそく本田を取調べてみて下さい。授業の方は、その間、私が代ってやっておきますから。」
 校長にそう言われて、権田原先生は次郎をさがしに校庭に出てみた。しかし次郎の姿はどこにも見えなかった。時計を見ると、始業までには、あと三四分しかない。
 先生は念のために校門を出てみた。すると、二丁ほど先の、小高い丘になった櫨林の中に、十四五名の児童がかたまって、何か話しあっているのが見えた。先生は、それを見ると、すぐ、大声をあげて、
「おおい。」と叫んだ。
 児童たちは、一せいに先生の方を見た。それから、またお互いに顔を見合って、何か相談しているらしかったが、しばらくすると、その中の一人だけが、さっさと丘をおりて先生の方に近づいて来た。それは次郎だった。
 ほかの児童たちは、いつまでも立ったまま次郎を見おくっていたが、先生がもう一度、「おおい」と叫ぶと、いかにも気が進まないかのように、しぶしぶと丘をおりはじめた。
 権田原先生は、次郎が校門のところまで来ると、ほかの児童たちに頓着せず、彼一人だけをつれて、宿直室に入った。
 やがて鐘が鳴り、授業がはじまって、校内は急にしずかになった。それまで、畳にあぐらをかき、顎鬚《あごひげ》をむしって天井ばかりを見ていた権田原先生は、思い出したようにたずねた。
「どうしたんだい、ゆうべは。」
「喧嘩しました。」
 次郎は平然として答えた。
「正木のお祖父さんは、まだ何も知らないんだな。」
 権田原先生の調子も平然たるものだった。
「はい。知りません。」
「そうか、じゃあ、先生に話してみい。いったい何で隣村の青年なんかと喧嘩をしたんだ。」
 次郎の説明したところによると、こないだの夏祭りの晩に、素行のよくない隣村の青年たちが、五名ほど見物にやって来て、村のある女にけしからぬいたずらをした。次郎の友達でその女の弟になるのが、怒って彼らに石をぶっつけると、彼らは、あべこべにその子を捉えてさんざんぶんなぐった。次郎たちもそばに居合わせたが、その時は手が出せなくて残念だった。そのことを、あとで村の青年たちに話し、仇をとって貰おうと思ったが、あんなならず者を相手にしてもつまらん、と言って、誰も相手にしてくれなかった。そこで、次郎が中心になり、子供たちだけで仇討の計画を定め、相手をゆうべ大川の土堤に呼び出すことにした、というのである。
「呼び出すのには、どうしたんだ。」
「僕が呼びに行きました。」
「ほう、そして、何と言った。」
「今夜、土堤でこないだの仇討をするから、五人共出て来いって。」
「そしたら、すぐ承知したのか。」
「はい。」
「向こうでは、こちらも青年だと思ったんだろう。」
「ちがいます。僕、はっきり言ったんです。僕たち子供だけでやるんだって。」
「そしたら、相手はどう言った。」
「生意気だって笑いました。」
「ふむ。……それで、お前たちの方は人数は何人だった。」
「十五人です。だって、僕たちの方はみんな子供だから、そのぐらいはいてもいいと思ったんです。」
 次郎はいそいで弁解した。
「うむ。そりゃあ、まあいいだろう。で、どんなふうにしてぶっつかったんだ。」
「僕たちの方は、五人が竹竿を持って行きました。」
「竹竿? ふむ。得物《えもの》はそれっきりか。」
「いいえ。そのうしろから、五人が棒をもって、ついて行きました。」
「ほう。棒をね。それから?」
「もう五人は、懐にいっぱい砂利を入れて、一番うしろにいました。これも、棒の短いのを腰にさしていたんです。」
「ふうむ。そしてその砂利をなげたのか。」
「はい、向こうが二十間ぐらいのところまで近よって来た時に投げました。」
「暗い所で、それが相手の青年だということがよくわかったね。まちがったら大変だったぜ。」
「月が出ていましたから、よくわかりました。」
「なるほど、ゆうべは月夜だったね。それで相手はどうした。」
「一人は石にあたったらしかったんです。あっと言ってすぐ土堤のかげにしゃがみました。すると、あとの四人が、どなりながら僕たちの方に走って来たんです。」
「みんな素手《すで》だったんか。」
「はい。」
「そ
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