たの本心じゃろう。」
「とんでもない。そんなふうにとられましては……」
「すると、やっぱりお芳は約束どおりもらってくださるのかな。」
「そりゃあ、もう、こちら様さえ、ただ今申上げたような事情を、十分ご承知くだすったうえのことであれば……」
「その事なら、はじめから承知していますがな。」
「そうですと、きょうわざわざお邪魔《じゃま》にあがる必要もなかったんです。ただ、私としましては、どの程度に正木からお話申上げてありますか、実はその点が非常に気がかりだったものですから……」
「あんたも、よっほど神経質じゃな、はっはっはっ。じゃが、わしもそれで安心しましたわい。」
 と、運平老は、がらりとくだけた態度になり、
「いや、恥を言えば、おたがいさまでしてな。何しろ、お芳という女は、ご覧のとおりののろま[#「のろま」に傍点]で、女学校にもとうとうあがれなかったし、かたづいた先からは、子供が亡くなったのを幸いに追い出されるし、実は、もう、わしの方で、一生|飼《かい》殺しの腹をきめて居りましたのじゃ。ところが、正木さんでは、そののろまなところが、かえって気に入ったとおっしゃるのでな。」
「恐縮です。」
「それで、あんたにも、そののろま[#「のろま」に傍点]なところを買っていただきたい、と思っていますのじゃ。のろま[#「のろま」に傍点]なだけに辛抱はいくらでもしますぞ。あんたが無理やり引きずり出すようなことさえなさらなきゃあ、めったなことで、自分からおんでるような、気のきいた女ではありませんのでな。そこは、あんたとちがって、豚のように無神経ですよ。」
「これはどうも……」
「いや、ほんとうじゃ。豚ではちとかわいそうなら、まあ山出しの女中と思っていただけば、まちがいありますまい。」
「何をおっしゃいます。」
「いや、山出しの女中と言えば、あいつにも一つだけ取柄がありますのじゃ。それは漬物がなかなか上手でしてな。あいつの漬けた糠味噌《ぬかみそ》じゃと、お母さんにもきっとお気に召しますわい。」
 運平老はすこぶる真面目である。俊亮は、むず痒《か》ゆそうに頬をゆがめた。
「ところで――」
 と、運平老は、急に思い出したように、うしろの茶棚にのせてあった一枚の葉書をとって、それを俊亮の方にさし出しながら、
「きのう、次郎君がわしにこんな葉書をくれましてな。字はあまり上手でもないようじゃが、書く
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