くないと思うのだよ。それに……」
 俊亮は顔をしかめながら、
「ええ、もうわかっています。お母さんのおっしゃることはよくわかっています。しかし、私は、恭一のやさしい気持も買ってやりたいと思ったんです。次郎の身になったら、それがどんなに嬉しいでしょう。兄弟の仲がそうして美しくなれたら、万年筆一本ぐらい、いるとかいらないとか、やかましく言う必要もないじゃありませんか。」
 お祖母さんは、恭一のやさしい気持を買ってやりたい、と言った俊亮の言葉には刃向かえなかった。しかし、そのあとがいけなかった。次郎を喜ばせることは、お祖母さんにとっては、むしろ不愉快の種だったし、それに、万年筆一本ぐらいどうでもいいようなふうに言われたのには、何としても我慢がならなかった。
「ねえ俊亮や――」
 とお祖母さんは声をふるわせながら、
「ほしがるものなら何でもやるがいい、と、お前がお考えなら、あたしはもう何も言いますまいよ。だけど、子供たちのさきざきのためを思ったら、ちっとは不自由な目も見せておかないとね。……何よりの証拠《しょうこ》がお前じゃないのかい。一人息子で、あまやかされて育ったばかりに、お前も今のような始末になったんだと、あたしは思うのだよ。そりゃあ、悪かったのはあたしさ。あたしの育てようが悪かったればこそ、御先祖からの田畑を売りはらって、こんな見すぼらしい商売を始めるようなことにもなったんだろうさ。だから、あたしは、罪ほろぼしに、孫だけでもしっかりさせたいと思うのだよ。それがあたしの仏様への……」
 お祖母さんは、袖を眼にあてて泣き出した。俊亮は、恭一と俊三とが、まん前にきちんと坐って、いかにも心配そうに自分を見つめているのに気がつくと、さすがにたまらない気持になったが、あきらめたように大きく吐息をして、店の方に眼をそらした。
 その瞬間、彼は、はっとした。一尺ほど開いたままになっていた襖《ふすま》のかげから、次郎の眼が、そっとこちらをのぞいていたのである。次郎の眼はすぐ襖のかげにかくれたが、たしかに涙のたまっている眼だった。
「次郎!」
 俊亮は、ほとんど反射的に次郎を呼び、
「さあ、行くぞ。」
 と、わざとらしく元気に立ち上った。そしてマントをひっかけながら、
「じゃあ、恭一、万年筆はせっかくお祖母さんに買っていただいたんだから、大事にしとくんだ。」
 それから、お祖母さんの方
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