て、それが自然二人にも影響しているためなのか、心からは親しんでいない。性格から言っても、竜一は単純で、無器用《ぶきよう》で、よくおだてに乗る子であるのに、由夫は、ませた、小智恵のきく子で、どうかすると、遠まわしに竜一の親たちの陰口をきいたりする。賭事《かけごと》ではむろん由夫がうわ手である。今日も、彼は、竜一をうまくおだてて、蝗の首取り競争を始めたところなのである。
 そこへ次郎が、ぼとぼとと草履を引きずりながら通りかかった。彼はこの頃、仲間たちとあまり遊ばない。学校の帰りにも大ていは一人である。
「おい、次郎ちゃん、見ててくれ、僕、勝ってみせるから。」
 と、由夫が彼を呼びとめた。
 次郎は、これまで自分にも経験のある遊びではあったが、首だけになった蝗が、いくつもいくつも、二人の着物の襟にくっついているのを見ると、あまりいい気持はしなかった。生物《いきもの》の命を取ることが、このごろの彼の気持に、何となくぴったりしなくなっていたのである。
 彼は、しかし立ちどまって、しばらく二人の様子を眺めていた。
 竜一は、次郎に見られていると思うと、いよいよあせって、無理に蝗を襟におしつけた。蝗は、しかし、そのためにかえって噛みつかない。
「竜ちゃん、僕、もう八疋だぜ。」と、由夫は、横目で次郎を見ながら言う。
 次郎はふだんから嫌いな由夫が、いやに落ちついて、竜一をじらしているのを見ると、むかむかし出した。
「竜ちゃん、よせ、そんなこと、つまんないや。」
 彼は由夫の計画をぶちこわしにかかった。
「いやだい、もうすぐ追いつくんだい。」
 竜一は、しかし、かえってむきになるだけだった。
「よしたら、竜ちゃんが負けだぞ。」
 由夫はずるそうに念を押した。彼はもうその時、九疋目を噛みつかせていたのである。
「そら、九疋。……もうあと一疋だい。」
 そう言って、彼は蝗の胴を引っぱった。胴はすぐちぎれた。そしてあとには、寒天のような白い肉がぽっちりと陽に光って、青い首の下に垂れさがっていた。
 とたんに、次郎の心はしいん[#「しいん」に傍点]となった。彼は、ふと亡くなったお祖父さんの顔を思い出したのである。しかし、それもほんの一瞬であった。次の瞬間には、彼はもう由夫の胸に猛然と飛びついて、蝗の首を残らず払い落してしまっていた。
「馬鹿野郎、何をしやがるんだい。」
 由夫はよろめきながら拳を握って振り上げた。しかし、その姿勢はむしろ守勢的で、眼だけが鼬《いたち》のように光っていた。
「竜ちゃん、帰ろう。」
 次郎は、平気な顔をして竜一の方を向いて言った。
 竜一は、まだその時まで、蝗を一疋手に握ったまま、ぽかんとして二人を見ていたが、次郎にそう言われると、すぐそれをなげすてて、
「僕んところに遊びに行く?」
「うむ、行くよ。」
 二人はすぐあるき出した。あるきながら、竜一は、自分の胸にくっついている蝗の首をはらい落した。
「覚えてろ! 竜ちゃんも覚えてろ!」
 由夫は無念そうに二人を見送りながら、何度も叫んだ。

    二四 乱闘

 ひえびえと薬の匂いのする薬局の廊下をとおって、突きあたりの土蔵の階段を上ると、そこが子供部屋になっている。一方の壁には何段にも棚が取りつけてあって、絵本や、玩具が、一ぱいのせてある。すこし暗いが、わりに涼しい。
 次郎は竜一とよくこの部屋で遊ぶ。このごろ彼の遊び相手は、ほとんど竜一だけだと言ってもいいくらいだが、それは竜一に親しみがあるからというよりも、むしろこの部屋が好きだからである。戸外での乱暴な遊びの代りに、本を読んだり、絵を描いたりすることに興味を覚え出した彼にとっては、この部屋が一番しっくりする。いろいろの面白い本が読めるうえに、何となく自由で、心から落ちつけるのである。それに、竜一の姉の春子――去年女学校を出て、看護婦がわりに父の手助けをしている――が、おりおりこの部屋にやって来て、二人の相手になってくれるのが、何より嬉しい。春子を見ると、彼は、いつも、自分にもこんな姉があればいいな、と思うのである。
 二人は部屋に這入ると、すぐ、棚からめいめいに好きなものを引きずり出して遊びはじめた。
 竜一は少し飽《あ》きっぽい性質で、一つの遊びをそう永く続けようとはしない。次郎もこの部屋でだけは、大てい竜一の言いなりになって遊ぶのである。で、間もなく、部屋一ぱいに、いろんなものが散らかった。
「まあ、やっと今朝、きれいにしてあげたばかりだのに。」
 と、梯子段から、春子が白いふっくらした顔を出した。
「姉ちゃん、今日、おやつない?」
 竜一は姉の顔を見ると、すぐにたべ物をねだった。
「おやつなんか、あるもんですか、こんなに散らかして。」
 春子は眉を八の字によせて竜一を睨んだが、本気で怒っているようなふうには、ちっとも見えなかった。
 次郎は、こんなふうに姉に叱られている竜一が、羨《うらや》ましかった。
「ぶつよ、おやつ持ってこなきゃあ。」
 竜一は、絵本をぐるぐると巻いて、振り上げた。
「姉ちゃんをぶったりしたら、次郎ちゃんに笑われるわよ。……さあ、お部屋をもっときれいになさい。そしたら、おやつ上げるわ。」
 春子はそう言って、自分で散らかったものを片づけはじめた。
 次郎は、すぐにもそれを手伝いたかった。しかし何だかきまりが悪くて、半ば腰を上げたまま、竜一の顔ばかり見ていた。
「次郎ちゃんはいい子ね。手伝って下さるでしょう?」
 春子にそう言われると、次郎は、もうぐずぐずしては居れなくなった。彼はいそいそと、玩具やら、春子が重ねてくれた絵本やらを、棚に運んだ。部屋ば間もなくきれいに片づいた。
「ありがと、次郎ちゃん。では、いいものをあげましょうね、お坐り。」
 春子は、半巾《ハンカチ》で口のまわりの汗を拭き拭き、部屋の真ん中にぺったり坐った。
「なあに、姉ちゃん。」と、それまで仏頂面をして突っ立っていた竜一が、春子にしなだれかかって、その白い頸に手をかけた。
「まあ、暑いわよ。いやね。竜ちゃんは。お手伝いもしないで。」
 春子は、口では意地悪く叱りながら、すぐ袂に手を突っこんで、小さな紙の袋を出した。袋には、飴玉が十ばかりはいっていた。三人は、一つずつそれを口にほうりこんで、しばらく默りこんだ。
 窓先の青桐に日がかげって、家の中がいやに静かである。次郎は、まもなく帰らなければならない、と思うと、急に物淋しい気分になった。
「次郎ちゃんは、今日、由ちゃんとどうかしたんじゃない?」
 ふいに春子が真面目な顔をして、二人の顔を見くらべた。
「ううん、何でもないさ。」
 と、竜一が飴玉を口の中でころがしながら答えた。次郎は默っていた。
「でも、さっきから少し変なのよ。」
「どうして?」
「竹ちゃんや、鉄ちゃんが、何度も裏口から覗いて、次郎ちゃんはまだいるかってきくの。何でも、由ちゃんが次郎ちゃんの帰りを待ってて、いじめるんだってさ。」
「由ちゃんなんか、何だい。僕、あべこべにいじめてやるよ。」
 次郎は急に立ち上った。飴玉は、まだ彼の口の中で半分ほども溶けていなかったが、彼はそれをがりがりと噛み砕いた。
「およしよ。由ちゃんはずるいから、お友達を何人もかたらっているらしいのよ。」
「卑怯だなあ。僕、負けるもんか。」
「そうだい。次郎ちゃんは強いんだい。僕、見に行ってやらあ。」
 竜一までが立ち上った。
「およしったら、喧嘩なんかつまらないわ。……次郎ちゃん、ゆっくりしておいで。竜ちゃんと一緒に、夕飯をご馳走してあげるわ。」
 次郎はまだこの家で飯を招《よ》ばれたことがなかった。子供にとって他人の家の食卓というものは、大きな魅力をもっているものだが、とりわけ次郎にとっては、そうであった。彼のいきり立った気分が、春子にそう言われて、急に柔《やわ》らぎかけた。しかし、すぐ坐りこむのも何だか恥ずかしかったので、彼は立ったままもじもじしていた。
「ね、いいでしょう、お母さんにおねがいしとくわ。」
「次郎ちゃん、ご飯たべていけよ。由ちゃんをなぐるのは、明日でもいいや。」
 竜一も、友達を自分の家の食卓に迎える楽しさに胸を躍らせながら、次郎の手を引っぱった。
「明日になれば、由ちゃんだって、もう喧嘩なんかしたくなくなるわ。だから、今日は外に出ないことよ。なんなら、泊っていってもいいわ。」
 次郎は由夫のことなんか、もうどうでもいいような気になって、すっかり落ちついてしまった。
 夕飯は、茶の間の涼しい広縁《ひろえん》で、大勢と一緒だった。漆塗《うるしぬり》の餉台《ちゃぶだい》が馬鹿に広くて、鏡のように光っているのが、先ず次郎の眼についた。金縁の眼鏡をかけた竜一の父が、ちょうど彼の真うしろに、一人だけ膳についていたが、次郎は、たえず背中をみつめられているような気がして、窮屈だった。しかし、春子が何かと気を配って彼の世話を焼いてくれるのが、たまらなく嬉しかった。彼は、正木の家でのように、自由にたらふく食うことは出来なかったが、何かしら、これまでに知らなかった食卓の潤《うるお》いというものを、子供心に感ずることが出来た。
 夕食を終えると、竜一と次郎とは、裸になって、庭に出してある縁台の上で、腕押しをはじめた。腕押しでは、竜一は次郎の敵ではなかった。次郎は一度くらい負けてやってもいいと思ったが、竜一の方がすぐやめてしまった。竜一は別に残念そうでもなかった。そして、
「一番星見つけた。」
 と、だしぬけに、西の空を指して叫んだ。そこには金星が鮮かに光っていた。
 それから二人は、縁台に仰向けに寝転んで、じっと大空に見入った。そして新しい星を見つけるたびに、やんやとはしゃいだ。次郎はそのあいだにも、春子が早くやって来ればいいのに、と思っていた。
 空が螺鈿《らでん》を鏤《ちりば》めたようになったころ、やっと春子がやって来た。次郎は、彼女が縁台に腰をかけた時、ほのかに化粧の匂いが闇を伝って来るのを感じた。
「蚊がつくわ。」
 そう言って、彼女は、持っていた団扇で二人を煽《あお》いだ。次郎は、臥《ね》ていては悪いような気がして、斜めに体を起した。
「次郎ちゃん、帰りたくなったら、誰か送って行ってあげるわ。」
 次郎は、春子が、来るとすぐそんなことを言い出したので、がっかりした。しかし、帰りたくないとは言いかねて、默って縁台を下りた。
「それとも、泊って行く? お母さんに叱られやしない?」
「僕帰るよ。」
 次郎はそう答えるより外なかった。
「じゃ、誰かに送らせるわ。」
 春子は、次郎の予期に反して、あっさりとしていた。
「一人でいいんだい。」
「いけないわ、由ちゃんの仲間が、まだそこいらに見張っているかも知れないのよ。あの子はしつっこいから。」
「僕、負けはしないよ。」
「勝ったって、負けたって、喧嘩する人、大嫌いだわ。」
「大嫌い」という言葉が、次郎の頭に強く響いた。しかし、送って貰って、由夫に卑怯だと思われるのもいやだった。
「次郎ちゃん、泊っていけよ。」
 竜一が起きあがって言った。次郎は春子の顔を窺《うかが》いながら、默って立っていた。
「でも、お母さんに叱られやしない。」
 春子は念を押した。
「叱られはしないけど。……」
 次郎は竜一がもっと何とか言ってくれるのを期待しながら、あいまいな返事をした。
 ちょうどその時だった。二、三間先の庭の生籬《いけがき》が、だしぬけにざわざわと音を立てて揺《ゆ》れだした。誰か外の方から揺すぶったらしい。
 三人は一|斉《せい》にその方に眼をやった。
「だあれ?」
 春子が声をかけた。しかし、それっきりしんとして物音がしない。
「犬かしら。」
 彼女は立ち上って、二三歩生籬に近づきながら呟いた。
「人間だよ。」
 生籬の外からおどけたような子供の声が聞えた。つづいて四五人の子供が、わざとらしく高笑いした。
 そのあと、急に生籬の外がそうぞうしくなった。
「里っ子、ちびっ子、よういよい。ちびっ子、じろっ子、よういよい。」
 この辺の盆踊りの節をまねて、そう唄いながら、子供たちは生籬
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