わざとらしく天井を見ながら答えた。
「見たこともない? お祖父さんのあの算盤を? おとぼけでないよ。」
「ほんとうだい。」
 次郎は少し躍起《やっき》となった。
「そんなはずはありません。お前、そんな嘘をつくところをみると……」
 お民は言いかけてちょっと躊躇した。次郎が恭一のカバンを便所に放りこんだ時のことを考えると、高飛車に出ても駄目だと思ったからである。
 しばらく沈默がつづいた。次郎は、つぎの言葉を催促するかのように、皮肉な眼をして母の顔を見まもっていた。
 お民は大きく溜息をついた。そしてしばらくなにか考えていたが、
「母さんがいいお話をしてあげるから、三人とも、よくお聴き、昔、アメリカというところにね……」
 と、彼女は、ワシントンが少年時代に過《あやま》って大切な木を切り倒したという物語を、出来るだけ感激的な言葉を使って、話し出した。それは恭一と次郎にとっては、もう決して新しい物語ではなかった。次郎は、話っぷりは学校の先生の方がうまいな、と思って聴いていた。
「大きくなって偉くなる人は、みんな子供の時、この通りに正直だよ。解ったかい。」
 話はそれで終った。次郎は、先生も
前へ 次へ
全332ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング