人がどんな顔付をして、品物を受取るのか、それが、無性に見たくて仕方がなかったのである。
売立が始まってから、二時間もたった頃、竜一の父が診察着のままで、あたふたとやって来た。そして、俊亮に何かこそこそと耳打ちした。しかし俊亮は、
「御好意は有難う。だが、いずれ一度は始末をつけなければならんのでね。……いや、全くどちらにも相談なしさ。」
竜一の父は、軽くうなずいた。そして、すぐ角帯や洋服の間に割りこんで行って、どの品にも札を入れた。
眼ぼしい品がつぎつぎに彼の手に渡された。角帯や、洋服は、変な眼付をしておたがいに顔を見合わせた。次郎は、それが何を意味するのか、ちっとも解らなかった。彼はただ、いい品物がたくさん竜一の家にいくのだと思うと、いくらか安心した。
売立は夜の十時頃までつづいて、眼ぼしい品は大てい片づいた。残ったのは、虫の食った挟箱《はさみばこ》や、手文庫、軸の曲った燭台《しょくだい》、古風な長提灯《ながちょうちん》、色の褪《あ》せた裃《かみしも》といったような、いかにもがらくたという感じのするものばかりであった。
みんなが引上げたあと、俊亮と竜一の父とは、座敷に残って、何かひそひそと話し出した。俊亮は、次郎が、まだ、残っていたがらくたを眺めながら立っているのを見て、
「何だ、お前まだ起きていたのか。馬鹿だな。早く寝るんだ。」
と、いつになく、きびしい顔をして叱った。
次郎が、茶の間に這入って驚いたことは、いつの間に来たのか、正木のお祖父さんが、白い鬚《ひげ》をしごきながら、端然《たんぜん》と坐っていることであった。お祖父さんの前には、お民とお祖母さんとが、悄然《しょうぜん》と首を垂れていた。次郎は、正木のお祖父さんの顔を見ると、急に、今まで売立を見ていたのが、何か非常に悪いことのように感じられだした。で、後の方から、いそいでお辞儀をして、すぐ寝間に行こうとした。するとお祖父さんは、
「次郎は相変らず元気じゃな。」
と、彼の方をふり向きながら、眼元に微笑をたたえて言った。
「ええ、ええ、もう元気すぎて、さきざきどうなるものでございますやら。家《うち》がこんなになるのも平気だと見えまして、一日じゅう、ああして売立を見物しているのでございますよ。」
お祖母さんは、そう言って、いかにもわざとらしい、ふかい吐息をついた。
「ほほう、見ていましたか。……どうじゃな、次郎、面白かったのか。」
「面白くなんかありません!」
次郎は憤然《ふんぜん》として答えた。
「面白くない?……ふむ。」
と、正木のお祖父さんは、静かに眼をつぶって、また顎鬚《あごひげ》をしごいた。
「でも、見るものではないって、あれほどあたしが言うのに、よく一日見て居れたものだね。」
お民が白い眼をして言った。
「僕、刀やなんかが、誰んとこにいくか、見てたんだい。」
次郎の言った意味は、誰にもはっきりしなかった。三人は言いあわしたように、次郎の顔を見つめた。
「でも、竜ちゃんとこに沢山いったから、いいや。」
正木のお祖父さんは、ほっと吐息をもらした。それから静かに手招《てまね》きして、
「次郎、ここにお坐り。」
次郎が気味わるそうに坐ると、
「人を恨むんじゃないぞ。買って下さる方は、みんな親切な方じゃ。……なあに、要らないものを売って、要るものに代えるんだから、ちっとも構わん。いいかの、次郎。」
次郎は、そう言っているお祖父さんを、妙に淋しく感じた。彼は默っていた。すると、お祖父さんは、また言った。
「刀が欲しいのか。刀なら、このお祖父さんのうちに行けば沢山ある。」
「僕、欲しくなんかないけれど、僕、なんだかいやだったよ。」
次郎は、自分の気持を言いあらわす言葉に困って、やっとそれだけを言った。
「いやなのに、見ていたのかい。」
お民がすぐ問いかえした。
「恭一なんか、いやがって覗こうともしなかったのにね。」
と、お祖母さんが、それにつけ足した。
正木のお祖父さんは、にがりきって、また顎鬚をしごいた。
そこへ俊亮と竜一の父とが、晴れやかな笑い声を立てながら、這入って来た。俊亮は、正木老人を見ると、急にあわてて、
「やっ、これは……」
と、いかにも恐縮したらしく、その前に坐って両手をついた。
次郎の眼には、父のそうした姿勢が全く珍しかった。彼は、ゴム人形の膝を無理に曲げて坐らしたときの恰好を心に思い浮かべて、可笑しくなった。
「もうすっかりすみましたかな。」
老人は、いかにも物静かに言って、俊亮と竜一の父とを見くらべた。
「全く面目次第もないことで……」
と、俊亮はその丸っこい膝を何度も両手でさすった。
「いや、どうも、実は私も今日はじめて、承りまして、おどろいているような次第で……」
と、竜一の父は、俊亮の助太刀《すけ
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