くなるにきまっている。」
「貴方は、まあ! みんなで次郎に罪を押しつけたとでも思ってらっしゃるの。」
「口では押しつけなくても、心で押しつけたことになる。」
「では私、もう何も申上げませんわ。どうせ私には、次郎を育てる力なんかありませんから。」
「そう怒ってしまっては、話が出来ん。」
「怒りたくもなろうじゃありませんか。次郎が正直に白状したのまで、私が押しつけてさせたようにお取りですもの。」
「次郎は、しかし、すぐそれを取消したんだろう?」
「それがあれの手に負えないところなんですよ。」
「しかし、それがあれの正直なところなのかも知れない。」
「貴方、本気で言ってらっしゃるの。」
「本気さ。あれは強情な代りに、一旦白状したら、めったにそれを取消すようなことはしない子だ。それを取消したところをみると、取消しの方が本当かも知れない。」
「おやおや、貴方は、あの子を人の罪まで被るような、そんな偉い子だと思ってらっしゃるの。」
「実は、その点が俺に少し解《げ》しかねるところなんだ。」
「それご覧なさい。」
「一たいどんな機《はず》みで、白状したんだい?」
「それは、私、ワシントンの話を持ち出しましたの。」
「うむ。」
「そしたら急にそわそわし出したものですから、そこをうまく畳みかけてきいてみたんですの。」
 お民は、少しうわずった調子で、得意そうに言った。
「なるほど。……うむ。……」
 俊亮はしきりに考えているらしかった。しばらく沈默がつづいたあとで、お民が言った。
「ですから、本気で教えてやりさえすれば、いくらかは違ってくると思いますけれど……」
「そうかね。……それで、あいつまだ小屋の中にいるのかい。」
「ええ、いるだろうと思いますけれど……」
「とにかくおれが行ってみる。」
 俊亮の影法師《かけぼうし》が動いた。
 次郎は、父に後《おく》れないように、急いで薪小屋にもどって、じっと息をこらしていた。
「次郎、馬鹿な真似はよせ。」
 俊亮は小屋に這入ると、いきなり提灯を彼の前にさしつけて、そう言ったが、その声は叱っているようには思えなかった。
「算盤のこわれたのは、どうだっていい。お祖父さんには父さんからあやまっとくから。……だが、こわしたと言ったり、こわさないと言ったりするのは卑怯だぞ。」
 次郎は、父に卑怯だと思われたくなかった。卑怯だと思われないためには、やはり罪を被る方がいいと思った。
「僕、こわしたんだい。」
 彼は、はっきりそう答えて、父の顔色をうかがった。
 すると、俊亮は、提灯の灯に照らされた次郎の顔を、穴のあくほど見つめながら、
「父さんに嘘は言わないだろうな。」
 次郎は何だか気味悪くなった。
「父さんは嘘をつく子は嫌いだ。……だが、まあいい、父さんはお前の言うことを信用しよう。しかし、飯も食わないで、こんな所にかくれているのは、よくないぞ。さあ父さんと一緒に、あちらに行くんだ。」
 次郎は、そう言われると急に涙がこみあげて来た。
「馬鹿! 今頃になって泣く奴があるか。」
 次郎は、しかし、泣きやまなかった。俊亮は永いこと默ってそれを見つめていた。

    一八 菓子折

 算盤事件は、とうとう誰にも本当のことが解らずじまいになった。
 俊亮とお民とは、それについて、まるで正反対の推測をして、次郎の子供らしくないのに心を痛めた。
 次郎と俊三とは、その後、口にこそ出さなかったが、顔を見合わせさえすれば、すぐ算盤のことを思い浮かべるのだった。次郎の立場は、むろんそのためにいつも有利になった。
 次郎は、いつかは思い切り戦ってみようと思っていた恭一と俊三とが、妙なはずみから、まるで敵手でなくなってしまったので、いささか拍子ぬけの気持だった。しかし彼は、決してそれを残念だとは思わなかった。それどころか、二人を相手に、いくらかでも仲よく遊べることは、彼の家庭における生活を、今までよりもずっと楽しいものにした。
 恭一は、雑誌や、お伽噺《とぎばなし》の本などをお祖母さんに買って貰って、それを読むのが好きであったが、自分の読みふるしたものを、ちょいちょい次郎に与えた。それが次郎を喜ばしたのはいうまでもない。
 彼ははじめのうちは、挿画《さしえ》だけにしか興味を持たなかったが、次第に中味にも親しむようになり、時には、恭一と二人で寝ころびながら、お互に自分の読んだものを話しあうようなことがあった。その間に彼は、恭一のこまかな気分にふれて、いろいろのいい影響をうけた。
 彼と俊三との間は、それほどにしんみりしたものにはなれなかったが、庭や畑に出ると、二人はいつも仲よく遊んだ。俊三が、このごろ次郎に対して、ほとんど我儘を言わなくなったことが、いつも次郎を満足させた。そして、彼が外を飛び歩くことも、そのためにいくぶん少なくなって
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