いと言うんだよ。」
「でも……そりゃ浅ましい真似をするんですよ。人が見ていない時に、お飯櫃に手を突っこんで、ご飯を食べたりして。」
「何もかも、もうしばらく眼をつぶるんだね。それよりか、差別待遇をしないように気をつけることだ」
「そんな御心配はいりませんわ。」
「形の上だけでは、どうなり公平にやっていても、何しろこんな事は気持が大切だからね。」
「気持って言いますと?」
「つまり親としての自然の愛情さ。」
「まあ貴方はそんなことを心配していらっしゃるの。次郎だって自分の腹を痛めた子じゃありませんか。」
「自分の子でも、乳を与えない子は親しみがうすいって言うじゃないか。」
「私には、そんなことありませんわ。そりゃ教育のない人のことでしょう。」
「そうか。……ところでお祖母さんはどうだね、あれに対して。」
「そりゃ、あの子を家に呼ぶのでさえ、こころよく思っていらっしゃらなかった位ですから……」
「女は何と言っても感情的だからね。」
「すると、私もお祖母さんと同じだとおっしゃるの。」
「お祖母さんとはいくらか違うだろうが……」
「いくらかですって?……貴方は私をそんなに不信用なすっていらっしゃるの。」
「そうむきになるなよ。あれに聞えても悪い。それよりか、もう一度呼んでみたらどうだね。」
「貴方の、公平なお声で呼んでみて下すったら、どう?」
「…………」
次郎は全身の神経を耳に集中して、二人の話を聞こうとしたが、その大部分は聞きとれなかった。聞えてもその意味をはっきり掴むことは出来なかっただろう。しかし、彼は何かしら、父が自分に対して好意を寄せているような気がしてならなかった。彼は父が今にも声をかけてくれるかと、ひそかに待っていたが、駄目だった。
で、彼はそっと向きをかえて座敷の方を窺《うかが》った。――もうその時には、日はとっぷりと暮れて、向こうから見られる心配がなかったのである。
父は默りこくって酒を飲んでいる。
母はそっぽを向いて、やけに団扇だけをばたばたさせている。
「恭一、お前次郎をつれて来い。」
だしぬけに父の声が、大きく聞えた。
恭一は、気味わるそうに、しばらく植込をすかしていたが、しぶしぶ立ち上って、次郎の方にやって来た。
「父さんが呼んでるよ。」
恭一は次郎に近づくと、用心深くその手首をつかんで引っぱった。次郎は、恭一に手を握られるのを、あ
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