と彼は、父に隠れる気など少しもなかったのだが、つい妙な機《はず》みで、こんなことになってしまった。それに、困ったことには、誰も自分が見えないのを気にかけている様子がない。かといって、今更植込の中から、のこのこ出て行くのも変だ。彼は自分が庭にいるのを、何とかして皆に気づかせたいと思った。で、父がいよいよ晩酌《ばんしゃく》をはじめた頃に、わざと足音を立てて庭をうろつき出していたのである。
 彼は母に声をかけられたときには、しめたと思った。それなら、その声に応じてすぐ出て行くのかと思うと、そうでもなかった。母の言葉は彼が素直に出て行くには、少し強すぎたのである。
 彼は母の声をきくと、すぐ、くるりと座敷の方に背を向けて立木によりかかってしまった。
「次郎ちゃん、父ちゃんが帰ったようっ。」
 恭一が彼を呼んだ。
「父ちゃんが帰ったようっ。」
 俊三がそれをまねた。
 次郎は皆の視線を自分の背中に感じていよいよ動けなくなってしまった。
「すぐあれなんですもの。……全くどうしたらいいのか、私、わからなくなっちまいますわ。」
「なあに、今日は、はじめてなもんだから、きまり悪がってるんだよ。」
「そんなしおらしい子ですと、私ちっとも心配いたしませんけど、なかなかそんなじゃありませんわ。」
「やはり家になじまないからさ。そのうち、おいおいよくなるだろう。」
「そうでしょうか知ら。」
「何しろ、あれにとつては、この家はまるで他人の家も同然だろうからね。」
「そりゃ、そうですけれど。……でも、あんまりですもの、何かお浜に強く言って聞かされて来たんではないかと思いますの。」
「まさか。……かりに言って聞かされたにしても、あんな子供に、そう巧く芝居が打てるもんじゃない。」
「すると、あの子の性質なんでしょうか。」
「性質ということもあるまいが、自然ああなるんだね、これまでのいきさつから。」
「このままでいいのでしょうか。」
「いいこともあるまいが、当分仕方がないさ。」
「まあ、貴方はのんきですわ。あたし、一刻もじっとして居れない気がするんですのに。」
「そんなにやきもきするからなおいけないんだよ。」
「では、どうすればいいんですの。」
「つまり、教育しすぎないことだね。」
「だって、私には放ってなんか置けませんわ。第一あの子の将来を考えますと……」
「将来を考えるから、無理な教育をしないがい
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