さし上げて、一間ばかりのところを往ったり来たりした。しかし、墓地に這入って探してみようとは決してしなかった。次郎は、石塔のかげから、じっとその様子を見守っていた。すると提灯の火は、間もなく、ぶかぶかと闇を走って、一丁ほど先の家なみの明るい中に消えていった。
 次郎の心はしいんとなった。同時に、蚊がぶんぶんと自分の体のまわりにたかって来るのを感じた。
 彼は、しかし、これからどうしていいのか、少しも見当がつかなかった。彼の心からは、すべての人間が見失われて、足をはこぶ目当がなくなっていた。彼は墓石に腰をおろしたまま、じっと闇を見つめた。
 十分あまりの時間が、蚊のうなり声の中ですぎた。
「もう逃げて行ったのかも知れないが、ちょっとそこいらを見ておくれ。」
 お民の声である。
「この中をですかい。まさか子供一人で……」
 直吉らしい。
「でも、いやに押しの強い子供だから、居るかも知れないよ。」
「そうでしょうか。」
 どしんどしんと足音がして、提灯の火が次郎の目の前にゆれて来た。
「あっ、居たっ。」
 一間ほどおいて、提灯はぴたりと止まった。容易に近寄ろうとはしない。声の主はたしかに直吉である。顔はよく見えない。
「居たら、引っぱり出したらいいじゃないかね。」
 お民の声が鋭く路から響く。
「次郎さん、そんなことをして、馬鹿だね。」
 直吉はおずおずと寄って来て、次郎の手をとった。
 それからあと、次郎は何が何やらわからなかった。彼はお民と直吉に両手を握られて、ぐんぐんと明るいところに引っぱられて行った。
 彼が自分を取りもどして、自分の周囲《しゅうい》を見まわすことが出来たのは、広い座敷の真ん中に坐らされて、先生のような態度をしたお民から、さんざん説教をされている時であった。

    五 寝小便

 お民は存分説教をしたあと、少しばかりの駄菓子を紙に包んで、次郎の手に握らせた。それは彼女の教育的見地からであった。しかし次郎は決してそれを口にしなかった。彼が寝床に這入ったあとでも、その紙包は、ぽつんと部屋の真ん中に置かれたままであった。
 お民の右側に恭一、左側に俊三が寝た。次郎の寝床は俊三のつぎに並《なら》べて敷かれてあった。
 次郎は永いこと眠れなかった。そのうちに、そろそろ小便を催《もよお》して来た。
 お浜の家では、寝しなには、きっと便所に行く習慣だったが、今
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