、こうした声が、一座の中から聞えて来ようものなら、次郎はいよいよ嬉しくなって、あくまでも頑張りつづけようとするのであった。
ただ、次郎にとっての困難は、灰汁入れの瞬間だった。この大事な瞬間になると、さすがに彼の細腕では、どうにもならなかった。で、彼は、その時になると、いつも隣の誰かに擂古木を廻して貰うことにした。しかし、それは決して彼の恥辱にはならなかった。と、いうのは、ごく年上の婆さんたちや、若い娘たちの中にも、次郎と同じように、灰汁入れの時に人手を借りる者が、必す何人かは居たからである。
次郎の野外における楽しみも、屋内のそれに劣らず、変化に富んでいた。彼は、男衆に教わって、天竺《てんじく》針をかけることや、どうけ[#「どうけ」に傍点]を沈めることを知った。日暮にかけておいた天竺針には、朝になるときっと鰻《うなぎ》や鯰《なまず》がかかっている。どうけ[#「どうけ」に傍点]というのは、舌のついた目のあらい竹籠の底の部分に、焼糠《やきぬか》をまぜた泥をぬり、それを、この附近によくある溜池の浅いところに沈めておいて、鮒や鯉を捕るのであるが、これも日暮に沈めておくと、朝には大てい獲物がはいっている。次郎は、その季節になると、よく夕飯におくれたり、まだ暗いうちから起き上って、戸をがたぴしいわせたりして、みんなに叱言を食うのであった。大川が近いので、男衆はちょっとした際を見ては投網《とあみ》に行って、鱸《すずき》などをとって来るのだったが、そんな場合、次郎が一緒でないことは、ごく稀であった。
大川の土堤を一里あまり下ると、もう海である。ちょうど、同じくらいの距離を上手《かみて》に行くと、旧藩暗代の名高い土木家が植えたという杉並木がある。次郎は、そのどちらも好きであった。彼は、別に面白いことが見つからないと、仲間を誘っては、よくそのどちらかに出かけて行った。海では、干潟で貝を捕り、杉並木では木登りや、石投げをやった。
いつの間にか、彼は小船を漕ぐことを覚えた。また近所の農家で馬にも乗せてもらった。従兄弟たちと一緒に、この村の祭りに加わって、若衆組の下仂きもさせてもらった。本田の家では許されなかったようなことが、ここではほとんど自由であった。こうして、次から次へと新しい楽しみが殖《ふ》えて来た。その間に、農家の生活がどんなものだかも、次第にわかって来て、ちょっとした手伝
前へ
次へ
全166ページ中121ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング