すると俊亮が笑いながら、
「なあに、菱なら町の方がかえって多いくらいでしょう。毎晩、近在の娘たちが、何十人と売りに出るんですから。」
「ほう、それは……」と、正木のお祖父さんが、俊亮を見て何か言おうとした。
 すると、本田のお祖母さんが、
「俊亮、お前何をお言いだね。せっかくこちらのお祖母さんが、ああして気をつかっていて下さるのに。」
「いや、こいつは大しくじり。わっはっはっ。」
 俊亮はわざとらしく笑いながら頭をかいた。しかし誰も笑わなかった。みんな妙に顔をゆがめて、本田のお祖母さんから、眼をそらした。
 子供たちは、菱の実がなくなると、すぐ縁側に出て腕角力《うでずもう》やじゃんけん[#「じゃんけん」に傍点]をはじめていたが、次郎は、その方に心をひかれながらも、大人たちの席から、遠く離れようとはしなかった。彼は、畳と縁との間の敷居に尻を落ちつけて、庭の方に向きながら、耳の神経を絶えずうしろの方に使っていた。
 庭の隅に一本の榎《えのき》の大木があった。その枝の間を、まんまるい月がそろそろと昇りはじめた。初秋の風が、しのびやかに葉末をわたるごとに、露がこぼれ落ちそうだった。次郎はいつとはなしに、それにも眼をひかれていた。彼の心は子供たちの騒ぎと、うしろの話し声と、美しい月の光との間にはさまれて、しょんぼりと淋しかった。
 話は、いつの間にか、ひそひそした声になっていた。それが、ややもすると、子供たちの騒ぎにまぎれそうであったが、次郎の耳の神経は、そうなると、かえって鋭く仂いた。話は彼自身に関することであった。
お民――「一人だけ、わけへだてをされたように思って、ひがんでも困りますので、やはり一緒につれて行く方が、いいのではないかと思いますの。」
正木の祖父――「ふむ……」
正木の祖母――「それは、何といってもね。……でも、本人さえこちらにいる気になれば、その心配もなかりそうに思うのだがね。」
正木の祖父――「本人は大丈夫じゃ。元来あれは、ここが好きなのじゃからな。」
本田の祖母――「まあ、さようでございましょうか。それにしましても、今度の場合は、本人にとくときいてみませんと、……」
 本田のお祖母さんの声だけが、わざとのように高い。
正木の祖父――「それは、わしの方で、もうきいておきました。」
本田の祖母――「やはり、こちら様にご厄介になりたいと、そうはっきり申す
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