A今の爪哇である、今日にても、南洋に觀光釆風の客は、爪哇の「ボロ、ブヅール」や、其の傍近の「チヤンデイ、メンヅト」(Boro−budur−chandi−mendut)の寺院の遺墟を尋ねると必ずや、西暦紀元第八世紀から、第九世紀頃に亘りて、建設せられた此等の寺院には、密教の佛像多くあるを發見せらるゝことと思ふ、此等の寺院が、僻地だから、わざ/\往くは、いやなら、せめて、「※[#濁音付き片仮名ワ、1−7−82]タ※[#濁音付き片仮名ヰ、1−7−83]ア」の博物舘でも、一見せらるゝがよい、唐代に密教が流布した時代には、此の地方にも、密教が盛であつたことと思はるゝに相違ない、して見ると、唐代の密教は、畢竟、印度から起つて、東亞一帶の地に澎湃として漲り來た波浪の餘波に相違ない、印度にては、密教の起原は、悠古の時代にある、必ずしも、龍樹菩薩を待つて起つたものでない、必ずしも、龍智阿闍梨を待つて盛になつたでもない、もし密教にして、如來内證の眞理であり、機根の最も熟したるもののみに傳ふべき教ならば、古代印度の諸宗教は、大抵密教である、「ウパニシヤツド」文學は宗義通り解釋すれば、師資相對して、親しく授受すべきものと云ふにあるも、古來印度の學者は、これを秘密教の義に解して居る、もし又密教にして、増益、息災、呪咀禁厭の法を含み、醫療星占の學を兼有する宗教とすれば、四吠陀中の阿闥婆吠陀は、其の呪文、其の儀軌、其の綱要、其の一切の附屬文學は、即ち、これに相當する、もし又密教にして呪文、其のものに力があり、功徳がありてこれを唱ふることによりて、拔苦與樂の力あると云ふなら、吠陀や、「プラーナ」の文學中にも、これに相當する部分は、甚だ多い、要するに、密教的思想は、人類に普遍なる要求であつて、世界孰れの邦域でも、人間の居住する所なら、孰れの時代、孰れの階級を問はず其の存在を見、又存在の理由もある次第で、たゞ、印度では、古代から、これに關する文學が、最も豊富であつて、今日も比較的多く傳はつて居るから、印度ばかりが、密教の本塲の如く見えるが、世界各國、程度の多少こそあれ、密教的思想又は形式の存在せぬ所はない、されば、印度に於ける密教の發生は、其の根本に遡りて時代を定むることが出來ぬ、吠陀の文學の成立した時代は、或は、今後判然明白になることが出來るにしても、其の文學の根本たる思想の發生は、决して、文學成立
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