、年頃の女もつ母親のすきさうな婿が出來ても智識があつて其の父親が惚れるやうな婿が出來ても、其の女子の親戚にとつては何の利益はない、例外もあるであらうが、おしなべて云へば兩親が子を思ふことは自我を忘れて思ふものである、世の中にこれほど純潔の愛はない、しかし親戚同志と[#「親戚同志と」は底本では「親威同志と」]なると、さう純潔にはいかぬ、幾分かは、自家本位がまぢる、それは無理からぬことで、自分の方も獨立して扶養すべき妻子眷族を有して居る以上、これをすてゝまで、從兄弟、再從兄弟のことを世話する譯にはいかぬ、だから一女子の婚姻によりて、親戚の人々に及ぶ利害關係はといへば、たゞ其女子の婿となる人の門地の尊きか、卑きかと云ふことであつて、これと姻戚の關係が出來たとすれば、自分等の門地も、社會一般の目から見れば、幾分あがつたりさがつたりするやうにも見らるゝし、社會上の位置にも多少の影響があるから、もし其の名門が清貴であると同時に勢利の家であつたら、おしなべての親族どもは、これに依りて光輝を生ずる次第であるし、卑くて社會から爪彈せらるゝやうなことがあつたら、氣のよわい親戚どもは幾分肩身が狹くなつた心地
前へ 次へ
全54ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング