sは下ドット付き] である、〔atic,esa〕[#sは下ドット付き] にしても 〔avac,esa〕[#sは下ドット付き] にしても「あまり」「のこり」即ち殘と云ふ義であるから、意味は同一であるが音が違ふ、佛在世の當時、いづれの語を使用せられたかと云ふと、それは淺學の自分には、まだ判明しない、これは後日の研究に讓りたい。
(八)[#「(八)」は縦中横]僧殘罪の名稱の由來縁起はこれだけとして、この波羅夷罪につぐ重罪の中に、佛は、何故に沙門の結婚を媒介することを入れられたか、一寸局外から考へると結婚の媒介は男女の淫樂を媒介するやうにも見えるから、いけないと意料さるゝが、なるほど、年頃の男女の私通を媒介するは、第一沙門たるの品位をも傷けるし、男女の淫樂の便益を計るのであるから、道徳上、よろしくないことは申すまでもないが、正式の結婚は必ずしも男女の淫樂のためでなく、今日ではいざ知らず、古代では印度でも、希臘羅馬でも一種の宗教的行爲であり、同時に又、法律的行爲である、宗教上から見れば、結婚と云ふ行爲によりて、甲家の女子が乙の家の男子に嫁すると云ふよりも、寧ろ、甲の家の守護神の下に居る一人が乙
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