はわからぬ恐がある、だから羅馬青年の學科の中には十二銅標の法文暗誦は第一になつて居つたことは「シセロ」の書を見れば明白である。
佛教戒律の文も記憶で傳つた結果、種々其の語の由來について、判明せぬことが少くない、これらのことを明にして、はつきり、佛の本意を闡明したいと云ふのは、前猊下の御思召であつて、まことに結構な御趣意である、これには梵語で見て判然せぬときは、「パーリ」語でしらべて見、「パーリ」語でわからぬときは西藏文で見、なほ判らぬときは、中央亞細亞で、流沙の中から、西洋人、支那人、日本人が發掘した斷簡零楮について見ると云ふ必要が出來る次第である。
餘談はさしおき、「パーリ」語の 〔Samgha_disesa〕[#mは上ドット付き] は梵語の 〔Samgha_tic,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] に相當することだけは、明瞭になつたとして、然らば現在存在する梵本の中に於て、僧殘罪の原語は 〔Samgha_tic,esa〕[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] であるかと云ふとさうでなく 〔Samgha_vac,esa〕[#mは上ドット付き。2つめの
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