]ラルチ」の俗語語典《プラークリタプラカーシヤ》に 〔Ritva_disu to dah〕[#Rは下ドット付き。sは下ドット付き。hは下ドット付き] と云ふ規則がある、リツ(ritu[#rは下ドット付き])等の梵語ではtはdとなる意で、〔atic,esa〕[#sは下ドット付き] の梵語が adisesa となることは、これで明白である、だから梵語ならば 〔Samgha_tic,esa〕《サングハーテイシエーシヤ》[#mは上ドット付き。2つめのsは下ドット付き] と云つたものが俗語で 〔samgha_disesa〕《サングハーデイセーサ》[#mは上ドット付き] と發音する慣例になつて居つたに相違ない、前にも申した通り「パーリ」語と云ふものは多數學者の云ふやうに決して佛在世の當時の言葉でもなく、又、印度の一地方の方言でもなく、云はゞ佛教の教團の中に出來た非常に發達した文學語であるから、俗語から「パーリ」文にかき直すときに、てつきりこれは samgha[#mは上ドット付き] 〔a_di〕 sesa だと誤解してdの音を其のまゝに放置したのがそも/\混雜を生じたもとで、少くも二千年間、敬虔なる
前へ 次へ
全54ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング