稱の由來を見るに、一方では此種の罪を犯したものは、僧團の「あまりもの」とせらるゝからだと云ひ、他方ではこれを處分するには、始中終、僧團の集會の上で定むることが必要だからだと云ふ、佛が在世の當時此の名稱があつたことゝすると、佛が如何なる趣意で此の名稱を制定せられたか、あるときは、一方の趣意、あるときは又、一方の趣意で、かゝる名稱を用ひられたとは信ぜられない、必ずや確固たる理由又は趣意を以てかゝる名稱を用ゐられたに相違ない、然るに、これに種々の趣意を附して、變な説明を附し、はては行き詰つて、たゞ義味をとれ、其の文字を究むる必要はないなどに云つてしまつては、甚だ、佛に對してすまぬ心地がする、何とか二者の中、いづれかにきめたい、自分一個としては犯罪の處置につきて、始中終、僧團全體の出席を要するものは必ずしも僧殘罪には限らない、これより重き波羅夷罪の處分につきても然りである、だから「パーリ」語の「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ」に對する説明は、はなはだ、感服せぬ、何はさておき、この語を分析して Samgha《サングハ》[#mは上ドット付き] + 〔a_di〕《アーデイ》 
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