」とせずして「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]セーサ」として居ることである、第二には婆(Va)者初也と云ふて居ることである、こんなことは決してない、梵語にしても「パーリ」語にしても va 又は ava と云ふ音に始と云ふ意味はない、或る學者の云ふごとく、果してこゝに所謂法師とは南方佛典の大注釋家|佛音《ブツドハグホーサ》であつて、僧伽跋陀羅三藏の師事した學者であるとの事であらばなほさら不思議である、婆者初也など隨分いい加減のことを云つたものである、殊に妙なのは但取義味不須究其文字と云つたことである、太だ佛音が律藏論藏五阿含などに對する注疏に見えた注釋ぶりなどとは違つて、振はないこと夥しい、恰も教場で學生どもから問ひつめられたとき、先生が逃を張るときのやうな口吻がある、しかし察する所は、これは問ふものと答ふるものとの間に思ひちがひがあつたから、かゝる變な文が出來たものと見える、問ふ方では梵語の方の僧伽婆尸沙《サングハー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]シエーシヤ》(〔Samgha_vac,esa〕[#mは上ドット付き])と云ふ言葉を頭
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