の「アー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」と 〔Samgha_disesa〕[#mは上ドット付き] の「アーディ」である、これを無事におさめやうとすると無理が出來る、其の一例は支那の蕭齊の時代(西暦四百八十九年)に僧伽跋陀羅三藏が「パーリ」語から譯出せられたと云ふ善見律毘婆沙《サマンタパーサデイカ》第十二(寒八、六十八丁右)にある文である
[#ここから1字下げ]
僧伽婆尸沙者|僧伽《サングハ》者僧也、婆者初[#「婆者初」に白丸傍点]也、尸沙者殘也、問曰云何僧爲初、答曰此比丘已得罪樂欲清淨往到僧所僧與波利婆沙、是名初、與波利婆沙竟、次與六夜行摩那※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]、爲中、殘者阿浮呵那、是名僧伽婆尸沙也、法師曰但取義味、不須究其文字、此罪唯僧能治、非一二三人、故曰僧伽婆尸沙
[#ここで字下げ終わり]
と大體の主意は、さきに引用した「パーリ」語の譯文の主意と一致して居るから、これをかれこれ云ふのではないが、第一に不思議に思ふは此の善見律毘婆沙は「パーリ」文から譯出せられたと云ふにかゝはらず、僧殘の語を「サング※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]ーディセーサ
前へ 次へ
全54ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング