で叙し去つたものであるから、やまと歌のやうに天地《あめつち》を動かし鬼神《おにがみ》を泣かすと云ふやうなはたらきはないが川柳《せんりゆう》のやうに寸鐵骨をさすやうな妙は、たしかにある、古い詩ではあるが人情には變異はない、其の機微を穿つたもので、大正の日本の今日でも適用の出來る詩であると自分は思ふ。
(三)[#「(三)」は縦中横]鬼か人非人かならばいざしらず人なみの人で年頃の女子を持つた兩親の心ほど、餘處目から見て氣の毒なことはない、家が富んで居れば居るだけ、不如意ならば不如意だけに心配は多いものである、相當の媒があつて縁談がはじまると女子の意見は第一に問はねばならぬ、自分等同志で相談もせねばならぬ、親族にも相談せねばならぬ、先方の婿の人物も素性も財産も取調べねばならぬから赤の他人であつても平素自分の家へ出入する人々にも問合はさねばならぬ、日本の今日ならば興信所へでも頼むことゝする、問はれた人々は他に理由あれば格別だが元來、めでたい話である以上、縁談が調うて、饗宴に招かれて、うまい酒や、おいしい料理でも出れば、それでよく、興信所ならば手數料も過分に貰へるから、なるべく成立するやうに話を
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