したとき妻も嫂も見むきすらしなかつたが、後六國の相印を帶びて家に歸つたとき、嫂は、季子が位が高くて錢が多いから、自分は尊敬すると云つたと大史公が書いて居るこのときの位は高いと云ふのはつけたりで、錢が多いと云ふ方が主であると云ふのは後世の史記の文を鑑賞する人々の定評である、由來、世話女房と云ふものは蘇秦の嫂のやうなものである、だから、己が娘の婿となる人は、なるべく富裕で、生活に不自由なく、衣裳萬端の調辨等にも、己の娘をして他に引けをとらさぬやうに思ふから、婿がねを定める上にも、子を思ふ母の慈悲には婿たるべき人の容貌はともかく、普通であれば別に異論はないが、貧乏で人なみの生活は出來ぬやうな人は、後日、己の家に厄介のかゝつてはといふ心配と、さしあたり、娘が生活にこまるやうではと云ふ懸念から、女子の婚姻の話がはじまると、第一に母親の心に浮ぶは己が女子のかたづく家の財産如何を問ふは、なべての母親の情である、母親に引きかへ、父親の方では、自分は普通は家を守ると云ふよりも、世間に出てはたらいて居るのが多いだけに、世間の事はわかつて居る、世間は必ずしも財産あるものばかりの世間でない、智慧材能あるものは、財産はなくとも世間で尊敬もせられるし、又、財産も造ることは出來る、財産はあつても學問はなくば、世間に出でゝ詐欺にかゝつたり脅迫に遭つたりして、ある財産もなくしてしまうなれば、まだしも、財産の爲に却つて身に殃を致す事例も知つて居るし、恃むべきは財にあらずして智識にあると云ふことも會得して居る、殊に古代印度に於ては吠陀は、一切の科學、宗教、法律、歴史、哲學に關する智識を收めた藏であるから、今日から見れば、日常生活には不適當な智識ではあるが、古代ではこれに勝るべき智識はなかつたから、吠陀に關する學問または智識あるものは非常に尊敬せられ、出でゝは卿相となり、處りては王者の封爵を受くることもあれば、己が女子の婿としては容貌よりもまづ古代の印度ならば吠陀の智識、大正の日本ならば人物學問に重きを置くと云ふことは、眞に己が子を愛する父親の情として、至當の事であると思はれる、これらと異りて、親戚の人々は婚姻の際、主として目を付けるは、婿たるべき人の容貌ではない、それも、不具とか、廢疾とか乃至嫌惡すべき疾病ある人とか云ふならば、嫁に行かんとする女子のために、つながる親族の縁もあれば、一應は兩親に異議を申
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