教へ、繪畫、舞踏まで仕込むは勿論、中には巴里の市中又は附近に別莊まで建てゝ兩親とも移つて來て、女子の教養に力を盡して居り、金にあかせて、衣裳をこしらへて、美しく上品に見えるやうにして居るが、氏素性は爭はれぬ、米國の女子は矢張り、米國の女子で金の力でときには歐洲の貴族と結婚はしても結局は甘く行かぬことは多い、姑と話して居る中に「アシユランス」と「アンシユランス」と間違ふて直されたり「エパタン」と云ふやうな市井の語をつかつて叱られたり、やれ衣裳のきこなしがなつて居らぬ、やれ靴が大きすぐるとか云ふて可愛さうに、することなすこと、小言を受けて結局は夫と頼む婿にも飽かれて捨てらるゝ小説が隨分ある、又紐育の十二富豪の隨一たる富豪の家の令孃が帝政時代に出た佛國の某公爵家に嫁入りして、種々の葛藤不和を家庭に起し、結局公爵と親族の一人との間に決鬪すらしたといふやうな實例は、現に十數年前あつた、自分は彼の地に居たとき、新聞で長い間に亙りて、其のいきさつを記述したから、自分は讀んで今もなほ記憶して居る、いづれの時代いづれの國でも、人情には變はりはない、だから親族どもの意見のみに任して門地ある家に女子を嫁入らすと云ふことも、先づ一考を要する次第である、さればとて年齒もゆかず、世事にうとい女子の意見のみに任して、女子の好む人に嫁入らすと云ふことは甚だ危險千萬で、殊に女子の兩親に財産でもあると、これをあてに女子を誘ふものが少くない、かう愛情のない結婚は女子の將來にとりても甚だ危險である、此頃世間の新聞雜誌に喧傳せられて居る東京某名家の椿事なども世に傳ふるところだけでは眞相未だ判然せず、且つ其の中に散見する人々の中には自分の知己友人もあるからこゝに悉しくは述べることは出來ぬが察するところ、自殺せられた令孃の嫁に行つたさきは、相當の資産があつたなら已に出來たことゆゑ、令孃のおつかさんも或はこれを承諾[#「承諾」は底本では「承諸」]したかも知れない、又資産がなくて、裸一貫であつても、立派な人格力量があつて令孃の父たる方が存命であつたなら、無論進んでかの結婚を承認し場合によりては莫大な持參金を持たせて其の立身出世をたすけたことゝ思ふ、現に赤の他人でも父たる人によりて今までに引き立てられ、教育せられて立派な人になつた方々は鮮くないやうである、まして令孃のゆかれた先方は、以前から血を引いて居るとの話である
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