р奄狽=@菩薩も出現せねばならなかつた。支那に於ては、流沙葱嶺の險を冒し南海風濤の難を凌ぎて、幾多の名僧高僧が來住せねばならなかつたことは云ふまでもない。斯くして支那の指導階級一般の常識となり畢つた大乘思想の精髓は、華嚴の色彩を帶びて眞言密教となり、支那の大衆的宗教の道教と合糅混一せる状態にあること大約一百年、遂に、儒道佛の三教を兼ねて會得した一大天才によりて、支那より日本に傳へられて、今日に及んだ次第であります。其の一大天才とは何人か、云ふまでもなく、宗祖大師即ち弘法大師其の人であります。かく論じ來れば、西暦紀元第九世紀の初頭に於て宗祖大師が、支那海の波濤を乘り切りて遣唐大使の一行と共に福州に漂着せられたことは、單に支那より密教を傳へんためと見るべきでなく、實は、西暦紀元第二世紀の頃より中央印度南方印度に於て胎動しつゝあつた新文化・新思想が、三百年を經て支那に入らんとして入らず、更にまた二百年を經て、金剛智三藏次いで不空金剛三藏を經て、漸やく支那に入つたものを日本に始めて將來せんためと見るべきものである。此の意味に於て、我が國の眞言宗の宗徒は宗祖大師の我が國に於ける降誕の日を記念すると同時に、不空金剛三藏の入寂の日を忘れてはならない。また不空金剛三藏の入寂の日を記念すると同時に、其の師、金剛智三藏の生國を忘れてはならない。金剛智三藏の生國は印度のいづれにあたつたかを詳にすると同時に、これを伴うて來た「アドミラル」米准那將軍の名を忘れてはならない。また誤讀してはならない。若しそれ、金剛智三藏より以前の龍猛・龍智神の事蹟に至りては、これを無責任なる俗學者の云爲に任せず、眞言宗全體の碩學と共に研究して余は更に合理的説明をなさんとするものであります。
底本:「榊亮三郎論集」国書刊行会
1980(昭和55)年8月1日発行
底本の親本:「弘法大師と其の時代」創元社
1947(昭和22)年8月
初出:「大乗 第二二卷第七號」
1943(昭和18)年7〜12月
※底本は表題に「金剛智《※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヂラボードヒ》三藏と將軍|米准那《ミールザーダ》」とルビを付しています。
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2008年3月14日作成
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