あります。其の名稱から見ても、兵士または軍卒と云ふ意味ですから波斯語系の民族であることは明白です。以上申上げたことから舊説ではあるが、これに反對する人々の説も俄かに贊成出來ない譯であります。
波斯の古代「アケメニード」王朝時代と安息王朝時代との研究が未だ東西の學者の間に充分でなく、また波斯の中世紀薩珊王朝の時代の研究が未だ充分でない結果、古代を論ずるごとに、常に希臘史家の資料に基づきて事毎に希臘を推し、中世を論ずるごとに、亞剌比亞人の資料にのみ基づきて事毎に「アラビヤ」を推して、波斯の民族の文化と武力とを閑却する傾向あるを私は常に遺憾とするものであつて、古代のことは暫らく措きて論ぜざるも、西部亞細亞に於て、西暦第七世紀に於て、亞剌比亞人が「モハメツト」の指導の下に大帝國を建設し得たる所以は、畢竟するに「メソポタミヤ」と「ナイル」河流域との兩文化の繼承者たりし波斯帝國の文化を、亞剌比亞人が繼承し得た結果に外ならぬと私は常に思ふ所であります。今日に至るまで亞剌比亞語と思はれたものは、波斯民族の語であつて、亞剌比亞語となつたのは非常に多い。通商、工藝、政治、法律、宗教などの領域に於て、亞剌
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