した點は、前刻申上げました通り南印度のパツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]王朝の王樣達の名前のつけやうと類似して居ります。此等の點等から見て、パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]王朝は安息國即ちパルテイヤ王朝の枝分であるとの説が出たものと考へられないこともありませぬ。今日ではパツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]族を以て、安息王朝の建設し君臨したパルテイヤ國出身であつたと云ふ説は下火になつて居り、また肝腎、此の説を提出して一時印度學者波斯學者をして、隨喜驚歎せしめた英國の學者が、進んで自説を取消して居るやうな有樣であるから、私どももかれこれ云うて進んで死灰再燃の勞に服せんとするのではありませんが、此の説はあながち反對論者の説にのみ耳を傾けて其の云ふまゝに任することは、學者の良心上出來ないのであります。反對論者は、パルテイヤ帝國の陸軍の強きことのみを見て、當時の波斯民族の海軍がアケメニード(Achemenides)王朝時代の波斯民族と同じく、依然印度洋亞剌比亞海の制海權を保有して居つたことに想到せず、ひたすら安息王朝の武士が肥馬に跨り堅甲を披て、勁弓大箭を以てイラン
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