で申しますれば、裘葛約三十年になりますが、其の間に於ける我が國の東洋學の進歩は驚歎すべき程のものであり、佛教に關する研究も、幾多英俊の士が輩出して長足の進歩を致しましたが、西洋の所謂東洋學者の研究も中々に進んで居りまして、殊に從來研究の資料が缺乏して居つたため、とかくに忽諸に附せられて居た支那日本の密教研究も、眞言宗では、碩學長谷寶秀大僧正等の御盡力により、幾多の貴重なる研究資料が本校から出版せられ、また新義眞言宗では、權田雷斧大僧正、富田※[#「學+攴」、第4水準2−13−72]純大僧正等の秘密辭林の出版以後、智山、豐山の龍象の方々が幾多の貴重なる研究を發表せられ、其の内容は内外の密教學者を刺戟したものと見えまして、或は梵語の材料から或は西藏方面蒙古滿洲の方面から集めました材料などを基礎と致しました研究が、續々發表せられて居ります。就中、昨年物故致された大谷派出身の西藏學者で、京都帝大文學部講師大谷大學の教授であつた寺本婉雅師が、金剛智三藏の入唐に先だつ數年前吐蕃即ち西藏から入唐せられ我が國へも元正天皇の御宇の養老年間に來朝せられたことがあるとまで傳へらるゝ密教の高僧善無畏の御名前は
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